重度後遺症裁判34 遷延性意識障害
山口研一郎医師 ある裁判での報告から
平成19年4月26日
 

 被害者のための意識障害事件に役立つドクターを見つけるのは、非常に困難です。意識障害患者や支援活動に携わり、裁判でも度々ご協力願った山口先生の御見解を紹介することで、意識障害被害者の裁判や治療、リハビリに役立てば幸いです。以下見解の簡単引用であることを承知願います。これを読めば、裁判官も納得する部分が多々あると思います。山口先生、勝手な引用ごめんなさい。小テーマは私がつけました。今回は意識障害の総論部分です。先生は、この他、生命予後(裁判で争点となる)、意識障害からの脱却(このためリハビリをする場合多い)、介護の必要と程度(裁判の争点)についても、度々有効なご意見を頂戴しております。機会があれば、差し支えない範囲でご紹介します。

遷延性意識障害とは
 重症頭部外傷や脳血管障害(脳内出血・クモ膜下出血・脳梗塞などの脳卒中)、低酸素脳症(急性心筋梗塞による心停止、喘息発作などの呼吸不全により脳への血流・酸素供給が途絶える状態)によって意識障害をきたし、急性期のいかなる治療をもってしても3ヵ月以上意識障害から脱却し得ない状態を遷延性意識障害という。
同障害は以下の6つの状態を有する(1975年、太田富雄ら)。
@自力で移動できない。
A自力で食事摂取できない。
B糞尿失禁状態をみる。
C目で物を追うが認識できない。
D簡単な命令に応ずることもあるが、それ以上の意思疎通ができない。
E声は出るが意味のある発語は出ない。
 一方、1996年(仙台)と1997年(沖縄)に開かれた“意識障害の治療研究会”(1999年より“意識障害治療学会”、2004年より“日本意識障害学会”)において講演された千葉療護センター(交通事故により遷延性意識障害を呈した患者の医療・看護を実施する国土交通省管轄のセンター。全国に千葉・仙台・岡山・岐阜の4ヶ所設立されている)の堀江武院長(当時)は、遷延性意識障害について以下のような見解を述べた(文献略)。
 「植物状態とは、“意識障害”ではなく脱遠心路症候群と捉えるほうが理解しやすい。植物状態患者には記憶機構も感覚系も作動状態にあり“意識”はあるが、表現手段のための運動系に障害がありコミュニケーションが不可能であるか、患者は唯一動く身体部位で意思表示を試みていると思われるが、そのシグナルが第三者の想像を越えてしまった言語系である場合には医療従事者に理解されにくい可能性があった。(中略)患者に表出するシグナル=“言葉”が通常の理解の範囲を逸脱しているときに、それを理解し、解釈し、翻訳するのは医療従事者の責務ではないかと考える。」(「外傷性植物状態患者との20年−シグナルからサインヘ」)
 従来から考えられていた、「遷延性意識障害者(植物状態患者)は、ただ何も考えずに眠っているだけ」といった考え方に対し、堀江院長が20年の長い経験から身をもって感じてきた同障害者に対する新たな認識とは、「遷延性意識障害者と言えども考えたり何かを訴えたりしているが、それを表す手段が一般の人には判りづらいだけ」というものである。意見者もこれまでの経験から堀江院長と同様な意見を有している。
 以上の堀江院長の考え方が全国の医師・看護師・療法士に理解されるところとなり、現在急性期・慢性期の医療機関、在宅における同障害者への治療・看護・リハビリが実践されていると云えよう。その目的は、何よりも同障害からの脱却である。

遷延性意識障害に対する治療・看護・リハビリ−脱却の試み
薬物療法
 従来、意識を取り戻すための治療の主流は薬物療法であった。急性期(受傷または発症後1〜2週間)あるいは亜急性期(同1〜3ヶ月間)の段階で、シチコリン(商品名:ニコリン)やTRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン、同:ヒルトニン)、L・ドーパ〈ドーパミンの前駆物質、アーテンなどとともにパーキンソン治療剤として使用される)、アーテン、シンメトレル(いずれも商品名)といった薬剤を静脈注射したり胃チューブより注入したりして意識の改善を期待した。一定の効果が現れる場合もあったが、無効に終わる例も多かった。L・ドーパやTRHは、主に神経伝達物質であるドーパミンなどの働きを促し、周囲からの刺激を敏感に感じ取り意欲を高めようとするものである。しかしそのためには、五感の「中継地点」である脳幹が十分に働いていることが必要となる。脳幹に強力なダメージを受けていればこれらの薬物療法も無効である。

電気刺激療法
 そこで亜急性期以降1年ほどの間に、直接脳幹を刺激する電気刺激療法が登場する。日本大学医学部における脳幹網様体と呼ばれる脳幹の一部に電極を差し込む方法(脳深部刺激法)や、藤田保健衛生大学で行われている頚部の硬膜外腔より電極を脊(頚)髄上部まで挿入する方法(脊髄後索刺激法)がある。いずれも、微量の電気刺激により脳幹を活性化させることで意識を改善させる方法である。また、前腕部の正中神経を外部から電気刺激する方法が亜急性期の段階に試みられることもある(正中神経刺激療法)。いずれの場合も、脳波が改善し、脳血流が増加し、脳脊髄液中のカテコールアミン(ノルアドレナリン、ドーパミン)の量が増加することから、大脳の代謝が増していることが比較的多くの患者で証明されている。

脳低体温療法
 また最近は、全国の病院や救命救急センターの多くで、超急性期に脳低体温療法が行われている。脳(体)温を32〜33℃まで下げることで、脳の保護を目的にしたものである。その結果、重症脳損傷患者の多くが遷延性意識障害に陥ることなく日常生活に復帰している(日常生活に復帰できた人の多くが、高次脳機能障害という新たな障害を抱えるのも事実であるが)。
 一方急性期から亜急性期それに慢性期の段階で、頭部CTやMRI上水頭症(脳脊髄液が脳室系やくも膜下腔に貯留する状態)の為の脳室拡大がみられることがある。そのために脳への圧迫も生じ意識の覚醒が遅れることもあり、それに対し、脳室内に流れる髄液を腹腔内へ流す脳室−腹腔(V−P)シャント術が奏功する場合がみられる。

看護及び介護
 以上の医療的治療に対し看護面については、(遷延性)意識障害の看護に対し画期的な成果を上げ、1992年6月のNHKスペシャル「あなたの声が聴きたい」でも紹介された札幌麻布脳神経外科病院看護部長紙屋克子氏(現在筑波大学大学院医科学研究科教授)らの業績が多大である。紙屋氏は、意識障害者は食事・排泄・コミュニケーションなどの多くの部分について障害を持つ者であり、それを支援するのが看護であるとした。「看護婦が専門職としての自覚に立ち、(植物状態)患者を一人の人間としてその人権を尊重し、日常生活の援助をする」という信念は、援助に止まらず、患者の自立への扉を一つひとつこじ開けていった。
 まず、「意識障害者は寝かせておくこと」という常識を捨てた。過度の安静(臥床)に置くのではなく、早期から積極的にファウラー位(上体を20〜30度近くまで起こす体位)・半座位・立位の状態に置き、時には腹臥位などの姿勢を維持しようとする行為が脳幹へ与える影響について着目した。次に、脳幹が自律神経の中枢であることに注目した。意識障害患者の場合、体温や脈、内臓の働きなど自律神経機能は良く保たれており、一方、日常生活行動の基本は自律神経にコントロールされている。よって、「自律神経系のコントロール機能を向上させることは、生活行動援助を展開する際に有効」と考えた。紙屋氏らは、そのために温浴(入浴)の効果を利用した。
 さらに、脳の学習と記憶という点で、練習によって身につける運動性の記憶学習が小脳・脳幹に保存されることを重視した。日常生活動作は反復により確立したものであり、運動学習の再生のために「日常の生活ケアそのものを健康時と同じ条件・方法で提供すること」に努めた。以上のような地道で根気強い努力は、彼女らがかかわる患者のみならず、ブラウン管や看護学会・研究会を通じて全国の多くの看護師の知るところとなり、幾多の医療機関において実践が開始された。
 さらに、医療スタッフのみならず、看護・リハビリスタッフや医療職以外のスタッフ、さらに患者家族を総動員して行われるのが、東大阪市の石切生喜病院において取り組まれている“音楽運動療法”である。
 運動については、トランポリンや直径1m50cmと70cmのメガボール・フィジオボール(空気で膨らませた弾力性のあるボール)を使い、本人を座位または立位にした状態で上下運動を繰り返す。これは抗重力姿勢の保持により心肺機能や筋肉など全身に良好な影響を与える。また、抗重力を保持するためのバランスの維持により姿勢反射や平衡感覚が要求される。さらに、空間における位置を確認する必要性から眼球動眼反射も動員される(同療法中のビデオに映し出された意識障害患者の眼球が、療法中上下左右に絶え間なく動いている様子でそれは証明される)。これらはすべて脳幹部を刺激し覚醒を促すことに通じる。
音楽は、運動による全身の緊張状態を精神的にほぐし、生きる喜びや快い感動を与える。そのために、単にテープやCDで音楽を聞かせるのではなく、本人が好んでいた曲をあらかじめ選定しておき、その場で演奏することが奨励される。患者は、時に激しい音楽で全身を大きく動かし、時には静かな音楽でリラックスした状態となる。また、わずかでも意識を散り戻し、立位が可能になった段階では、音楽に合わせて歩いたり踊ったりする。
 以上、同障害者に対する治療・看護・リハビリとして行われている主な内容を紹介した。

以上は、ある裁判で使わせていただいた報告ですが、最近の先生の著書に
『脳受難の時代』(御茶の水書房)があります。関係者必読の書です。