子供の事故を考える
子供に過失ありとするのはやめて欲しい
平成16年3月18日
 

被害者が子供の事故は日本では不合理に扱われています。『子供が飛び出した』は、加害者が共通して弁解のために言う言葉です。それはなぜか。被害者である子供7歳であったとしても、裁判所が『子供でも事理弁識能力がある』としているからです。子供が悪いとされるのです。加害者の処罰面でも略式罰金に過ぎない場合が多く、不起訴となる場合もあるようです。民事でも被害者である子供が悪いとされ、過失割合が押付けられます。
法律の勉強をしたときに、弁護士や裁判官は子供が被害者の場合には、信頼の原則は適用されないと教えられてきたはずですが、実務では全く違ったものです。
伝統的な判例によれば、7歳児でも能力があり、当然に交通ルールに従うべきであり、子供であることによる影響は、過失割合としてはせいぜい10%ほど加害者の責任が重くなるだけとされ、『子供が飛び出した』と言えば、子供が悪く、加害者は不測の事故で避けられなかった事故として処理されてきたのです。加害者が子供の飛び出しというのは、かかる不当な判例が続いてきたことに原因があるのです。

先日、京都のドクター今井様より、子供が被害者の時の論文があることを紹介されました。スゥエーデンの子供の認識能力の指摘です。要するに結論は、子供の事故の事前の認識能力については、期待すべきではなく、交通教育をしても意味がなく、制度を運用する側で施設充実しろ、ということです。スゥエーデンと文化の違いが基盤にあり、比較をすべきでないとしても、子供の認識能力の評価に違いがあるはずがありません。法の運用面でも、これは通用する理屈でありまして、たとえば7歳児の事故では、子供が予測できない行動をとることは当然ドライバーとして認識しろ、それをしないならば、過失責任を一方的に負う、となります。過失責任を議論するとき、理念を与えられる論文です。是非参考にしてください。
法律的視点から取り上げて、その1部を紹介します。 被害者が幼児や児童の場合には、きっと参考になるはずです。私はさっそくこれを証拠として、子供について過失ありとしないよう裁判で利用しております。

【スウェーデンでの子供の認知能力
日本では子どもの交通事故安全対策というと真先に交通安全教育を浮かべる人が多い。しかしながらスウェーデンの児童心理学者スティナ・サンデルスは、子どもの認知能力について詳細な発達心理学的検討を行なった上で「就学前の子どもには、交通事故を避けるために必要な状況を判断する認知能力はない。」とし、「子どもを交通事故から守るには、子どもを交通安全教育により交通状況に合わせさせるのではなく、子どもが交通事故に遭わずにすむ交通環境を作るしか道はない。」と結論。以後、スウェーデンではサンデルスが示した認識を基盤として、一貫して安全な交通環境作りを重視する交通政策がとられた。

スウェーデンでの新しい交通事故死ゼロ作戦
スウェーデンでは、「交通事故による死亡や永続的傷害を将来的にゼロにすること」 が、1997年に国会で決議されました。そして、1998年と比較し、2010年の交通事故死数を半減させる事が目標として掲げられました。更に、「交通の利便性のために、交通事故により人命が失われたり、永続的な障害を蒙る人が出る事は、もはや倫理的、社会的に許されない。」とする倫理的基盤が明確にされ、交通の利便性と安全性を天秤にかけその均衡点を探るという一般的な発想は、放棄されるに至りました。これが、Vision Zeroと呼ばれる新しい交通政策です。そして、過去において、交通事故の責任のほとんどが道路を使用する個人に負わされていた事を反省し、その責任は、道路交通に影響を持つあるいは参加するすべての人々や組織により分かち合われるべきであり、そのことにより、交通の安全は確保されるとの立場も明確にされました。】

表2 子ども(0-14歳)の歩行者及び自転車乗車中の交通事故
死亡者数と死亡率についての日本とスウェーデンの比較(1999年)

 
日本
スウェーデン
歩行者死亡数(死亡率)
181人 (0.97)
4人(0.24)
自転車事故死亡者数(死亡率)
70人 (0.38)
2人 (0.12)

注2 )括弧内の死亡率は、0 - 14歳の子ども人口10万人あたりの死亡率

以上の引用は、次の学術論文からです。

小児保健医学雑誌「チャイルドヘルス」
(2003年12月発行;16巻12号)の61〜65ページ掲載論文
スウェーデンにおける子どもの交通事故予防対策について

反町吉秀
国立保健医療科学院専門課程研修生、京都大学大学院医学研究科社会健康医学系健康要因学講座健康増進・行動学分野非常勤講師

渡邊能行
京都府立医科大学大学院医学研究科地域保健医療疫学教授