重度後遺症裁判のために(15)
重度後遺症被害者の惨状−前編−
平成15年12月10日
 

 私は、被害者の立場で交通死亡遺族や重度後遺症家族の裁判をしてきましたが、最近は講演や執筆もするようになりました。大阪府保険医雑誌12月号『車社会を考える』に書いたのを紹介します。医師向けに書いたらこうなりました。【大阪府保険医雑誌12月号『車社会を考える』掲載より引用】

被害者や遺族は、弁護士、警察、検事の批判が強く、加害者の処罰や捜査に疑問の声が根強くあります。2次被害です。

被害者の声(1)
【加害者に対する処罰があまりに軽い】
今、交通事故処理は被害者にとり、非常に軽く扱われているのを御存じでしょうか。事故発生の捜査から裁判所の段階にいたるまで軽く扱われます。死亡事故でも簡単に罰金で処理される例が多く、重度後遺症でも多くが罰金で処理されます。
人身事故で起訴されるのは全体の1割で、不起訴は全体の9割です。起訴されても、罰金が9割で、正式裁判される1割の事件も、実刑はその1割です。わかりやすくいうと、千人の人身事犯中、900人が不起訴となり、100人が起訴され、うち90人が罰金で処理され、正式裁判される10人のうち、9人は執行猶予付き判決で、1人が実刑となる。言い方を変えると、千人の人身事犯のうち、999人は従来と変らぬ生活で、1人だけが実刑となります。しかも実刑でも刑期はせいぜい1年前後に過ぎません。あまりにも軽すぎる、というのが遺族の声です。
最近では、飲酒運転等による危険運転致死罪等で厳罰化されてきましたが、交通事犯の基本的な刑の軽さは現在も変っておりません。
日本の処罰を諸外国との比較でみても、加害者の実刑率は、各国と比べ、韓国やドイツの4分の1、イギリスの6分の1、フランスの10分の1と実刑率の低さは世界一です(平成5年犯罪白書)。悪質ドライバーに優しい国が日本です。遺族だけが「処罰が軽い」と思う背景となる『加害者天国ニッポン』の実情があるのです。

交通事故処罰の変遷
しかし、日本の交通事犯に対する処罰は、かつてはそうではありませんでした。
処罰の実態を検察の起訴率の経過で説明すればわかりやすいと思います。
人身事犯の起訴率は昭和60年まで70%以上を維持してました。昭和40年〜昭和50年代には、交通3悪撲滅キャンペーンもなされ、交通事故犯罪は厳しく処罰されました。急激な車の増加で悪質な運転のドライバーが増え、事故増大し、政府も『年間100万人の被害者を出すな』を合言葉に、官民挙げた交通事故厳罰化を徹底した時代です。昭和43年に業務上過失致死罪の法定刑も3年から5年に引き上げられたのは、そのためです。交通事犯が明らかな犯罪と認識され、厳しく処罰された時代です。
ところが、その後あまりに起訴される事件が多くなりすぎたため、検察の現場で事務に支障が生じたため、昭和61年から検察庁は人身事件、即ち業務上過失致死傷罪の起訴率を低くする政策が企図され、起訴しない政策が開始されました。法務省もやがて容認し、平成5年犯罪白書で交通事犯非犯罪化を宣言し、厳罰化から非犯罪化へと、法務省も厳罰化政策から政策転換しました。日本の交通事故の処罰政策が大きく転換した時代です。
グラフ(1)で見るとわかりますが、人身事故の起訴率は昭和61年の73%から急降下し現在では11%です。人身事故を起こしても、今は9割が無罪放免です。
では、この政策転換により、交通被害者数はどうなったでしょうか。グラフ(2)を見てください。


グラフ1



グラフ2

交通事故の人身被害者数は、かつての厳罰化政策によって、99万人から60万人にまで一旦激減しましたが、厳罰化から非犯罪化政策への転換によって、被害者数は増加を続け、平成13年には約118万人と増加の一途です。60万人にまで激減した人身事故の被害者数は今や120万人近くへ激増しております。原因は政府の処罰の政策転換であることは、グラフで見ても、一目瞭然です。
60万人まで激減した被害者数が120万人への倍増は何を示しているでしょうか。

  1. 運転者にモラルがなくなってきているのです。事故が起っても、運転者は逮捕もされず、軽く処理されるため事故は増えます。運転モラルの喪失です。
  2. 警察官に士気がなくなり、やる気がなくなってきています。日経新聞で交通警察官の士気がない、という記事がありました。『交通警察官の9割が、他の職場と比較して、評価が低く、ストレスがたまりやすい』と感じているとの事でした。『どうせ不起訴となるのだから、やる気がない』ということを示します。

ここに悲劇があります。つまり非犯罪化の捜査現場への弊害です。捜査や検察の士気が無くなり、やる気が失せ、ドライバーの運転モラルも無くなる悲劇です。
個別の事件で、遺族や重度後遺症被害者は、加害者への厳罰を求めても、実際は、軽い制裁で終えて、よしとする政策のため、苦しむ遺族や重度後遺症家族らが後を絶ちません。  
どんなに被害が重かろうと『たかが交通事故ではないか 』で罰金でいいと済ませてしまいます。ところが遺族や家族はそれではすみません。拭いがたい国への不信が残ります。あまりに軽い制裁は被害者に国への不信を生んでいます。

 このように交通事故処理は、死亡事故でも軽く扱われますが、重度後遺症事案では、家族が介護に明け暮れるため、警察の捜査云々でありません。そのため、一層軽く扱われている実情です。
 受任の重度後遺症事件で処罰が明らかに不当な事例が2件あります。受任は民事事件ですが、日本の警察検察は処罰をどう考えているかと疑う程のケースです。

事例1 高槻市住宅街の人身事故
 平成13年9月27日高槻市の住宅街の見通しのよい地点で、道路端に脚立を立てて植木の刈り込みをしていた植木業者を、右折して来たタクシーが轢いた人身事故がありました。植物状態となった被害者に特に落度もなく、他方タクシー運転者の視界を遮るものもなかったため、家族は、加害者は実刑になるものと思っていました。植物状態の被害者を24時間介護している家族の人生も奪われたのですから、被害態様は実質2人の死亡にも匹敵します。ところが加害者への制裁はわずか30万円の罰金でした。

事例2 寝屋川市内の国道で発生した人身事故
 平成11年1月28日、寝屋川市の道路で、夜、歩道を走行していた自転車が、進行前方に歩道を遮る違法駐車の車があったため、これを避け迂回走行しようと右へ出たところを、後続の車両に轢き逃げされました。被害者に高次脳機能障害の後遺症が残り、仕事は全く出来ない状態となりました。後続車の運転者は後日逮捕されましたが、事故当時飲酒をしていたのに、時間の経過でアルコールは探知されず、轢き逃げも追及されず、結果、飲酒で著しい前方不注意で発生した事故なのに、重度後遺症被害事件に対するB車の運転者の処罰は、罰金30万円で、A車の違法駐車運転者の処罰なし、でした。あまりに軽すぎます。

2つの事例は、1人の重度後遺症被害者の人生を奪っただけでなく、家族の人生をも奪うという被害実情であるのに、加害者に対する制裁はたったの罰金30万円です。事故により被害者の人生が奪われ、さらに介護の毎日である被害者の家族も、その人生を奪われました。他方、加害者は30万円の罰金を納めて、従来と何ら変わりのない生活を送っています。交通事故の制裁面で、加害者と被害者との生活の変化には極端なアンバランスがあり、あまりに不条理です。どうして過失のない被害者側では、家族全員の人生が犠牲になっているのに、加害者は何事もなかったように普通の生活ができるのでしょうか。国が非犯罪化政策をとっていることによって、拭いがたい司法不信が重度後遺症被害者家族にはあるのです。

被害者の声(2)
【交通捜査への不信】
交通事故が軽く扱われるのは、起訴率低下や非犯罪化政策が原因ですが、さらに、この人身事犯不起訴政策のため、交通警察はやる気がない実情にあると言われています。警察官も『どうせ起訴されないなら捜査も軽く扱う』ことになるのでしょう。日経新聞のアンケートによると、警察官の9割が、交通捜査の現場では『ストレスがたまりやすく、交通部の評価が他より低い』と思っているとのことです。やる気のない交通警察の姿がそこにあります。
すなわち、警察は初動捜査で終わりとし、再捜査せず、加害者の供述どおりの捜査となる傾向にあります。特に重度後遺症被害者や死亡事例では、いわゆる死人にくちなしと言われるように、警察は加害者の供述に沿う調書を作成し、かつ目撃者を真剣に捜そうとしません。事務的となっているからです。

不当捜査の例 (警察)
1)
先日NHKからコメントを求められた根本事件が示した不当捜査があります。
根本事件は、関東では有名な事件ですが、歩行者が車に衝突され、植物状態の重度後遺症被害が発生した事件です。目撃者によれば、加害車両は走行車線ではなく反対車線を走行して歩行者を轢いたとのことでしたが、警察は目撃者を立会人とした実況見分で、警察官が意図的に誘導した捜査となり、道路真中が衝突地点とされました。目撃者からクレームがつき、目撃者の3度の実況見分がなされました。
2回目の実況見分でも、警察官はあくまで道路真中を衝突地点とする図面を作成していたようです。目撃者が被害者が立っていた本当の位置を指示しても、ここですねと警察官が図面に書いた地点は道路の真中だったといいます。それを知った被害者側は、国会議員を通じて、国会質問をした挙句に、3度目の実況見分をするという異例の捜査となりました。
3度目の実況見分では、さすがに警察官も衝突地点を加害者の供述に沿うようにはできず、目撃者の言う『反対車線上の地点が衝突地点』とされました。なぜ、このようなことが起るのでしょうか?
国の交通事故非犯罪化政策のためです。この政策があるため、交通事故は事務的に処理されても誰からも文句を言われず、不起訴や罰金で処理され終了してしまうので、警察も被疑者の言うとおり捜査記録を作れば、簡単に仕事が終わります。もっともしゃべる加害者の供述どおりに調書を作り、それに沿うよう目撃者調書も符合させれば、仕事は完成します。正義感など出てくる余地はありません。『どうせ一生懸命捜査をしても、結局不起訴や罰金となる』のですから、正義感を持って捜査をする警察官がいるはずもありません。

2)私が担当の事件で、例えば姫路で発生した交差点での死亡事故があります。不当な捜査が、後日判明した事件です。この事件で加害者は赤信号無視で轢き逃げまでしていました。ところが、警察の加害者に対する取り調べは、『被害者の対面信号は黄色』との供述調書でした。現場に行くと、加害者からは被害者側の信号の色が見えるような状況でありませんでした。そこで、民事裁判で加害者に尋問をしたところ、『被害者の信号の色を見た記憶はない』と言うのです。どうして被害者の対面信号が黄色と見えた。とされたのか、と尋問すると、警察官から『黄色だったはずだ』と言われ、『被害者側の対面信号の黄色を見た』とされたと言うのです。これは明らかに警察官が勝手に作成したものであり不当な捜査です。

被害者の声(3)
【交通検察への不信】
交通事故が発生し、警察の捜査が一旦終わると、検察庁に送致されます。検察庁では、副検事による再度の形式的捜査がなされます。捜査の中身は供述調書を再度まとめるだけです。
副検事に対しては、被害者遺族に聴取する際に『示談はまだかと言って示談をほのめかす』、あるいはやる気の無い捜査をする、といった被害者の非難の声があります。また副検事の仕事は調書作成という捜査の仕事もありますが、起訴不起訴を決める権限もあるため、検察庁の起訴率低下政策の下では、事件を罰金や不起訴で済ませ裁判事件をなくし、仕事を減らそうという意図が調書作成時に自然に出ます。また、士気もありません。
福岡地裁の刑事事件では、検事交替事件を2件担当しました。1件は、遺族が謝罪もしない被疑者ですと検事に訴えると、検事は『加害者は女性で死亡事故でショックを受けているから、謝罪できないんです。わかってあげなさい』と言う始末でした。おまけに厳罰を求める署名1万通を受け取り拒絶されました。まるで加害者の弁護人のせりふのようであり、態度でした。そこで検事交替を求めたところ、言い分が認められ交替となり正式裁判がなされました。ところが、公判検事も問題でした。刑事裁判での被告人に対し、【さん付け】で呼ぶ検事の姿がありました。即刻交替申請したところ、2人目の検事交替となりました。以上のように交通検事にもやる気がないのです。制裁を求めるのが仕事なのに、それは仕事ではないと、多数の交通検事が勘違いをしているのです。

このため、副検事は調書作成でも手抜きをすることとなります。警察の捜査を検証もせず、むしろ加害者寄りの調書を作成し、加害者を結果的に助けるなど、まるで弁護人のような仕事をしているのが実情です。原因は昭和61年に起訴基準を作成して起訴率を低下させようとしたときに、同時に交通部に副検事を大量投入し、捜査は警察に完全に任せ、副検事は起訴不起訴の選択のみをして、検察が交通捜査から撤退したことです。かつては重要交通事件は検察と警察の、二者が協議をしたようですが、今は協議しません。『検察は交通から撤退した』と警察幹部が言いますが、まさにそのとおりで、検察は事故原因に無頓着で、事故現場に行く検事も少ないようです。検事は不起訴事件と起訴事件の分類作業で忙しいようです。
例を挙げて説明すると次の通りです。

事例1 平成14年3月、奈良で発生した丁字路交差点での右折車と原付き自転車との衝突死亡事故
遺族が上申書を提出したため起訴され、正式裁判となりましたが、裁判記録を見てわかったのは、副検事が加害者寄りの調書造りをしていることでした。被害者から見ると、検察による調書のねつ造でした。加害者に対する警察の調べは『右折時は徐行していた』となっていたのが、検察の調べでは、『右折時は一時停止をした』となっていました。しかし、この事故は加害者の悪質な過失によって出会い頭の事故となってしまったもので、この副検事の行為は、被害者にしてみるとねつ造です。
検事の調べは事故から相当経過していますので、そんな供述を採用する検事はまるで弁護人です。この検事はこの事を述べた遺族に対して、『死に損や』と言ったこともあり、遺族は検事による不当な捜査を理由に検事交替を申し入れました。この申し入れの原因は、検事が警察の調書を意図的に変えたことにありましたから、高等検察庁は『捜査に公正を疑う点があった』と検事交替を認めました。このように、被害者にとって不正な捜査をしている検事の姿があるのです。

事例2  夕方に加害者がライトをつけて走行中、信号の無い交差点を横断中の歩行者を轢いて死亡させた事故
 この事件は、京都地裁で既に公判事件となりましたが、被害者は死亡し、被害者の妻から『先生、加害者はライトをつけていたと言っていて、他に目撃者もいるのに、記録にはライトの点は何も記載されていません。』との相談がありました。また、検事についても『どうして厳しい処罰を希望するのか、そこまでしたいのか』等まるで加害者の弁護人のような態度で、いじめられているようだとの相談も受けました。
私は最初の点は、夕方の事故でライトを点けていたら、そんな事故が発生するわけがないし、加害車両の反対方向にいた目撃者が調書上何も述べていないというのはおかしいから、すぐに目撃者から話を聞いた方がいいですと、アドバイスしたところ、目撃者はライトは点いていなかったと断言するではありませんか。 報告を受けた私は驚きました。警察の明らかな手抜捜査によって、加害者の供述通りとなっているのです。これを見抜けない検事は失格です。そこで、目撃者の再捜査を申し立て、同時に検事交替を求めたところ、これが認められ、ライトは点いていなかったという目撃者の調べも、公判段階でなされました。これは異例のことでした。
そして、加害者の供述を疑う捜査を一切していないことがわかったのは、起訴され公判が開始された直後でした。記録を見た後、目撃者から直接「加害者のライトは点いていなかった」と聞いたからです。本来検事は被疑者の言い分が正しいかどうか目撃者に再度聞く必要があるのですが、検事はそれどころか、遺族に対して、『どうして加害者に厳しい処罰を求めるのか、どうせ実刑になることはない』と、検事とは思えないような、まるで弁護人のような態度で遺族を困らせる姿がありました。そこで、京都地検の検事交替を求めました。目撃者の再捜査すらしないこと、遺族に対する暴言が理由でした。この検事交替も認められました。

これらの検事交替事件が出来たのは、公判事件となり記録を見ることができたからです。公判事件は公判期日以降に記録を閲覧謄写でき、最近では被害者も捜査記録を見ることができる制度になったこともあって、遺族が開示された記録を検証して検事の捜査ミスや調書のねつ造を発見できたのです。