静岡轢き逃げ事件で問われた
轢き逃げ『負傷者』の定義 ―亡霊判例―
平成15年10月31日
 

交通事故判例上、道路交通法の救護義務違反に当たるかどうかについて、法律上『負傷者』とあるため、最高裁は昭和44年7月7日判決で『負傷者とは死亡していることが明確な者を除き、車両等によって、負傷したすべての者を含む。ただし、死亡の判定は極めて難しく、一見明白な者以外の者については、とりあえず、救護の措置をとらせるのが被害者野救助をまっとうしようとする法の立法趣旨に合致する』 と判断したため、その後の裁判で、時としてこれが引用されてきました。

しかし、これをそのまま適用するとトラックに轢かれて死亡では、多くの被害者が死亡すること明らかであり、これに比べて乗用車では傷害となる可能性が高く、トラック事故では、事故後逃げても救護義務違反はなく、軽乗用車では救護義務違反があるとされ、これでは不平等な適用となります。

静岡で今問題となっている、轢き逃げ事件の公判事件は、これが問われています。検察はこの判例に固執し、救護義務違反は『一見明らかに死亡』事例ゆえ不起訴としましたが、検察審査会は一旦『不起訴不当』と決定しました。この決定を受けて、検察は、起訴するかと思われましたが、再度の不起訴決定をしました。

ところが遺族も負けてませんでした。2度目の不起訴決定に対する再度の検察審査会に対する申立をしたのです。検察審査会が出した2度目の決定は、最初の決定を一歩進めた『起訴相当』決定。これを受けて、マスコミも遺族に好意的、検察に懐疑的となりました。何よりも署名の多さが違いました。検察の根拠は昭和44年の最高裁判例でした。
しかし、良く考えてみてください。人を轢いた直後に逃げてもいい、しかも大型トラックなら、いいとの結論になるのが、最高裁の結論だとしたら悪法であります。
遺族にしたらたまりません。形も残らないような殺され方をして、そのうえ、轢き逃げで処罰されない、という理不尽が待っているとは。これこそ司法の2次被害の極端な例ではないでしょうか。 負傷者とあるのはなぜか、それは命を助けることはもちろんですが、死亡しているような場合にでも、命を大事にすべきだというのが法の趣旨でないでしょうか。 死んでしまえば、何もしなくてもいいと、法が言っているのでしょうか?  加害者は轢くときは過失でしょうが、その後で逃げることは故意行為であります。すると、人を死傷させたことを認識しながら、あえて逃げ足り、何もしないことは、それ自体処罰されることではないでしょうか。 
検察の今回の横暴は、最高裁の判例を拠り所とするものですが、この判例には、遺族の心情が一片たりともありません。遺族にしたらたまりません。一般社会の感情も許せないとしているのです。だから多数の署名が集まったのです。

司法は遺族の思いを汲んで配慮すべき時期に来ています。
今日のメールで遺族から『裁判所が指定公判期日を取り消し』と報告ありました。裁判官には、遺族の心情が理解できたようです。
検察も横暴さをなくして欲しいものです。検察は謙虚に遺族の制裁を含めた心情に基本的に配慮が足りません。負傷者の定義は再考すべき時期です。