テレビの訴える『情報開示がどうして必要か』 平成15年10月21日
 

最近のテレビは、死亡事故の捜査のずさんさを丁寧に報道されるようになりました。グラフで示し、コンピューターグラフィックで事故の再現までしてくれて、捜査のずさんさを指摘してくれる最近のテレビ報道の姿勢は、少なくとも交通死亡事故被害者に対する目線は、共感できる部分が多くなってきておりますし、捜査情報の被害者への開示の必要性を迫力を持って迫るものです。

捜査過程から排除された被害者のとる方法としては、一般に文書で訴えるしかない上申書や、或は刑事手続きの中で訴えるには、限界があります。最近の捜査情報を求める会(KSR)等のテレビ報道は、事故の捜査のずさんさで痛い目にあっている人たちの連帯を取り上げたり、ずさんな捜査で困っている家族や遺族を取り上げるようになりました。先日も関東で放送された根本事件は警察官の不当な誘導による目撃者つぶしが2回なされ、実況見分が3回もなされた事例でした。こういう事例が取り上げられると、何故か被害者の落度を一生懸命捜したりする事実があり悲しいことですが、テレビで指摘されている捜査のずさんさは間違いなく交通事故被害者の問題です。また最近のTBSの報道特集では、『初動捜査で固まってしまって、その後目撃者が出現しても放置される事例』があり、遺族が真実追求のために一生懸命調査し、目撃者探しをする姿が報道されてました。多くの遺族には、どこか共通点を見出すような、決してまれではない事例ばかりです。
交通死亡事故の被害者問題は、捜査や司法の手抜きが連続しているシステムにあることに尽きます。起訴率の激減がある一方で、その裏にある恒常的にある警察の捜査の手抜き、また警察のずさんな捜査があれば簡単に不起訴としてしまう検察の処分、そして次に検察が不起訴とするのだから仕事も初動捜査で片付けようとする警察の姿勢、と循環する手抜きシステムにあります。
そうでなければ、73%の起訴率が11%にまで激減するという不可思議で、不自然な現象を説明しようがありません。手抜きが手抜きを呼んでいるとでもいう現象です。

その延長に『どうせ誰もチェックできないのだから、被疑者の供述を中心とした初動捜査で片付ける』という枠組みに、今の警察の交通捜査があるのです。かかるずさんな捜査をチェックできない仕組みが検察自体にあり(検察は交通捜査から撤退したというのは、交通警察幹部松尾氏の言葉でした)、裁判所も捜査に違法性があってもこれを違法と判決できないのです。したがって、捜査の全権を委ねられ、かつ誰もチェックできない警察の捜査の現場は、捜査情報が開示されないことを利用し、被害者の責任にしたり、あるいは、加害者の供述どおりとする体質となってしまったのです。野放し状態の捜査といっても良いのではないでしょうか。犯罪被害者問題とは明らかに違う、交通事故被害者特有の問題であるのです。
交通事故処罰厳罰化運動の引き金となったのは、東名高速での井上さんの事故の生々しい衝撃的な事故の再現フィルムでした。見るものに対して、被害実情を生々しく訴えました。その映像が何度もマスコミに取り上げられ、署名する人たちに被害の共感を呼んでいったものです。
軽く扱われている問題の一つ、処罰問題に区切りがついたところで、これからは、もう一つの交通事故処理システムの問題が捜査情報開示です。被害者にとっては切実な問題です。これを解決していくことこそ、今の交通事故被害者支援運動の核であります。

国は、交通事故を7割起訴から1割起訴としてしまい、非犯罪化しているのですから、捜査情報開示面で犯罪扱いをするのは、国の政策として矛盾しています。
また何よりも国が非犯罪化政策をとるため、警察の捜査はずさんさを極めているのです。 形式的捜査に堕して、加害者の供述通りとし片付ける捜査の腐敗体質は回復できないほどです。テレビが捜査のずさんさを次から次へ取り上げる今こそ、捜査情報開示を求める機運が熟する時であります。今動かなければ、システムはますます交通事故被害者に対して軽く扱うだけです。起訴率最低の現状ではシステムと被害者の戦いこそ、今の交通戦争なのです。テレビに訴えましょう。マスコミに訴えましょう。警察の捜査のずさんさを。情報開示がこのために必要なのだと訴えて行きましょう。