なぜ、交通事故が軽く扱われるのか(3)
原因 その5
平成15年6月3日
 

1 副検事 (まるで加害者の弁護人)
 キーワードは、横暴、無理解、2線級です。交通検察は知られていません。
東京地検の部長序列でいうと、特捜、公安、刑事公判、総務、交通とされています。検察内部の扱いで、交通検察は序列が一番低いのです。
その中で、副検事の仕事の問題があります。交通事故を初めから軽く扱う姿勢が見受けられます。副検事制度については、既に述べたように、検察は昭和61年に改革実行しました。副検事から地検の一般事件を取り上げ(肩代わり措置の廃止)、交通事故を行なう副検事を大量に生み出しました。
昭和60年頃までは、一般刑事事件、例えば殺人事件でも副検事が検事と同じようにしていたようです。一般刑事事件の検事として揉まれ、犯罪への正義感に燃えていった姿があったのです。期待される正義感も育っていったのです。交通事故の処理でも、こういう副検事が処理担当だった、と推測されます。
ところが、この時に行なわれた『肩代わり是正措置』といわれるものは、一般事件は正検事が行なうものとされ、一般刑事事件から副検事が排除され、副検事は全員交通事故処理となりました。この措置に憤慨した副検事は当時多かった、と言います。
すると、副検事にやる気もなくなるわけです。捜査をやらないのは常識となり、正義感もなくなります。正義感がないから公判に自信がありません。交通公判事件の法廷での副検事の姿には、鋭く追及する検事本来の姿は、どこにもありません。被害者から見たら、交通副検事に腐敗しているという姿があるといわれますが、先程述べた形式的画一主義と、副検事交通事故専門というのが交通検察の腐敗の原因なのです。
このため、それまでは、一般刑事事件はするが、そこで正義とは何か、犯罪者は罰すべきだというような、揉まれて生れる正義派の副検事が発生しなくなったのです。大事なことです。
要するに、検察の組織の問題ですが、地検交通部はほとんどが副検事で占められ、一般刑事事件と距離をおきます。2線ピッチャーしか配置しておりません。正義感を生むような仕事をしない副検事で占められ、マンネリとなっています。その上、過失の判断というのは実は難しいという面もあります。そのため、マニュアルで処理する。捜査副検事の仕事は何か? 警察の手書きの調書をワープロできれいにすること言っても言い過ぎではない。昔のように難しい過失の判断を評価できる体制とはなっていませんし、昔のように警察と協議することもありません。その証拠に、被疑者の検察調書はあまりに短い。遺族調書も必ず取るとは限りません。警察でとったらそれで終りとします。もし遺族に聞く機会があれば、何をするか、というと『示談はしたか』『なぜしないのか』と余計なことを言います。まるで弁護人の仕事です。どうしてかというと、罰金で処理したい意向もあるからです。公判もできるだけ避けたい。特に地方では、自分や同僚の副検事が公判という、慣れない場に立たなければいけないのですから、示談や話会いの言葉を言わせようとします。罰金で処理しやすいのです。
副検事というと、公判はもともと仕事の中心ではなく、自信がありません。自然と罰金事件や不起訴事件が増える原因なのですが、公判を傍聴される遺族の意見をたびたび聞くのですが、おどおどしている、弁護人に比べ自信がない、弁護人や裁判官に何か指摘されるとうまく答えられない、とか手厳しい意見が多い。なるほどと思うのは、たしかに副検事は、もともと検察事務官の仕事しかしてませんから、裁判官や弁護士とはそれまでしてきた仕事や体験が違うし、61年からの改革で正義感に揉まれる仕事をしてない。法廷の仕事になれているわけでなく、法廷については、門外漢に近い。そうすると、自信もなく裁判を避けるとなります。すると、自然に不起訴や罰金で処理となる。不起訴も罰金も多いのは、実はこういう副検事職の職務の性質に原因もあります。裁判なんてしたくない が本音です。
以上のように不起訴や罰金の増える理由は、実は、かかる検察スタッフ配置に原因があるのですが、まともな検察官を配してほしいものです。少なくとも遺族の熱意にこたえられる配置にして欲しいものです。

博多の依頼者からの相談で、検事熱心でないので、検事と面会して欲しいと依頼を受けまして、同行しました。
ところが、検事は初めから加害者をかばう様に、『被疑者もショックを受けているから謝罪もしないんですよ。』とか遺族に会うとすぐに、被疑者を擁護し、被害者に説教までする。検事との面会中から、遺族は検事に対する不信感が極まって泣かれる。どうしていきなり加害者をかばうのか。
これじゃ、まるで被疑者の弁護人です。 廊下に出た遺族が言うには、『先生、弁護士は8人目となりましたが、検事は代えること出来ないんですね』とガッカリした様子。 それを聞きまして、私は『できることが一つありますが、冒険ですが、やりましょう』と言って、高等検察庁に一緒に行きました。検事への交替申し入れです。検事交替は博多では初めて、とのことで、新聞でも取り上げられました。帰りの新幹線で携帯電話に電話あり、検事交替します,との報告を高等検察庁から受けました。新たな捜査検事へ交替が認められたのです。公判起訴ともなりました。
しかし、問題はこの後の検事にもありました。公判となりましたが、検事が、いきなり被告人のことをさん付けで呼ぶのです。こういう裁判をされては、遺族はたまりません。執行猶予間違いない雰囲気となるからです。これもまた検事交替の相談を受け、即交替の申し入れをしました。同一事件で検事2人の交替です。同じ事件で2人も検事の交替を求め、認められた例はないそうです。

検事はどうも、遺族の気持ちがわからないし、制裁に向けての仕事をどうするか、わかってないのです。刑事裁判では遺族はひたすら制裁を求めつづけるだけです。ところが、遺族の気持を汲取ろうとする努力をしない体質が出来上がってしまっているということです。

2 副検事の弱腰  ― 捜査や公判態度
『検察は捜査から撤退した』というように、検察は捜査の検証はしません。警察の捜査で十分であると。捜査を監視したり、検証などしない。現場に行かない。遺族にも会いたがらない。法廷態度も甘い。当然と制裁が甘くなる。ひどい検事になると、遺族調書で示談はまだか、と催促したり、示談しないことが悪いかのようにいう。もっとひどいのは、加害者の調書で、被害者が悪いようにしたり、加害者の言い分を変えたりもする。被害者の監視の目がないところで、加害者を助ける調書作りをしてしまう。 被害者と敵対する利害にあるという現実があります。でも裁判のためには、協力しなければならないのです。
検察の調書は犯罪なのに事故として片付けられている、そういうのが副検事中心の捜査です。公判態度も非常に弱腰です。被害者排除システムもありますので、制裁をする側の圧力やパワーは、当然になくなっていきます。被害者への配慮も足りなければ、意見もあまり聞かない。自分達の仕事が中心と思う。
すると当然、
検事さん、そこどいて、代わりたい!!! となります。
遺族は、検察席に遺族が座って、被疑者に質問等したいと思うわけです。フランスでは検察席に被害者側で座れるシステムもあると聞きます。付帯私訴制度といいます。被害者を排除せず、被害者が積極的に当事者として参加するシステムです。
最近出された本に犯罪被害者の会が欧州の刑事司法制度の説明があります。そこで述べられている中に『日本では被害者は証拠物に過ぎない。欧州では当事者となっている』という言葉です。被害者は物であり、証拠物です。だから、扱いがぞんざいになるのです。すると被害者としては刑事訴訟に当事者として参加できる道があるはず,として法案も検討されました。数年前に、岡村弁護士が中心となった刑事訴訟法の改正です。この法案は検討されましたが、結局、公判事件だけは、公判中に捜査記録を見ることを許可する、被害者が心情を述べることが出来る、いう恩恵的な制度となりました。被害者に固有にある権利としてでなく、裁判所から温情的に認められた制度というに過ぎません。ですから、裁判官も検事も積極的に勧める制度ではありませんから、法律が出来ても、制度の運用が積極的にはなされてません。相変わらず、被害者が知らぬうちに、処罰がなされることは変わっていません。ただ、公判事件の被害者遺族側としては、この権利を有効に使うことが出来ます。たとえば、意見陳述をするのは、最後の被告人質問が終了した後で、使うのがベストでして、その前に意見陳述するというのは、被告人の言うことへの反撃機会を失うこととなります。そして意見陳述前には、公判記録を謄写できるシステムとなりましたので、これを謄写して、記録を読み込む、特に被告人の言い分がどうなっているか、嘘をついてないか、こういう点に焦点を充てて、理解して公判での意見陳述をすべきだと思います。ともかく意見陳述制度が出来て、ますます検事と被害者の利害が敵対する関係も出てきているように感じます。加害者と敵対する関係にあるのは仕方ないとしても、検察との利害対立はないほうがいいのですが。