なぜ、交通事故が軽く扱われるのか(3)
原因 その2
平成15年5月29日
 

法の運用 −検察の手抜き−
検察の極端な起訴率低下という運用に原因があります。
法の運用面です。検察による法の運用の妥当性が問題です。
日本の交通事故が軽く扱われている根本原因は、法でなく運用にあり、検察の意図的な極端な起訴率低下の運用にあります。犯罪白書によれば、昭和60年の73%の起訴率が平成12年には11%台まで低下してます。『検察の疲労』(産経新聞)では、東京で8%とされてます。被害者の目から見れば、明らかな手抜きがあります。人を怪我させても無罪放免が9割です。交通事故は犯罪扱いされなくなったのです。 

きっかけ
この運用は昭和61年から開始されました。東京高検検事長の前田宏という人が、東京高検管轄内だけで、スタートした運用です。法務省は7年後に、交通事犯の非犯罪化宣言をし(平成5年版の犯罪白書)、検察の運用を理論的に正当化する工作をしました。資料(2と9)を見ると、どれだけ起訴率が急激に減少してきたか、わかります。今まさにその通りの現象となってます。交通事故は死亡でも軽く扱われ、警察も目撃者どころか、加害者や事故内容教えない。検事も遺族に会いたがらない、遺族だけが苦しむ、加害者天国ニッポンの現象が今あります。
交通事故はかつて交通3悪として絶対に許さない、という政府の方針や、交通事故は犯罪だとする社会の認識もあり、厳罰の歴史もありました。つまり、被害者数が急激に増え、100万人を突破しようとした時代です。交通戦争という言葉があった時代です。資料1の交通被害者数のグラフの最初の山の右上がりの最終時点です。
交通戦争と言われた時代、悪質ドライバーと国の戦いの時代のシンボルが昭和43年頃立法された業過致死傷罪の法定刑3年から5年への引き上げです。交通事故の厳罰運動で、1年間99万人の被害者が昭和51年に60万人にまで激減したのが交通戦争の結果です。山の線が右下がりに急激に低くなってます。加害者と国との交通戦争に国が圧倒的勝利でした。捜査の現場も厳しいものがありました。初犯から実刑をの時代でした。捜査官の使命感はこの時期は相当の熱があったと言います。国と加害者の戦いでした。
検察は秘密主義ですから、どういう運営がなされてきたか、わかりにくいのが実情です。広島高検の元検事長である弁護士の竹村照雄さん、この方は、東京地検の交通部長もなさっておられ、自叙伝『1検察官の軌跡』を出されておりますが、この本から読み取れる検察の裏が見えます。交通3悪として、交通事故事犯を厳しく処罰した時代があった。昭和40年から昭和55年頃です。しかしこの時期が過ぎ、交通検察の現場が忙しくなった。つまり数年前から発生した大量の事件処理の影響が残ります。厳罰化のため残ったものです。検事の仕事の量が山となったのです。裁いても裁いても処理できない仕事が山となった。これをどう片付けるかというのが、実は検察内部の問題だったようです。元検事長竹村さんは莫大な未済事件を迅速に片付けたことを、自慢話のように書いてられますが、逆にいうと交通検察の現場では、長期未済事件が非常に多かったのです。交通事故を厳しくしたのはいいけれど、検察の仕事が大量に増えたのです。どうしてか。過失犯というのは、考えると非常に難しい側面もある。この時代は、捜査の主導は副検事がしてましたからなおさらです。困難な事件は、当時は警察とも協議したということです。今はありませんが。副検事には、一般事件検事の肩代わりをさせていたのを辞めさせ、交通部に集中させた。
それでも事件処理が間にあわない。そのため、仕分けの明確な基準を作って、起訴原則主義を辞め、できるだけ多くの事件を不起訴とするようにし、不起訴事件を増やすようにして、未済事件を増やすようにしたのです。

起訴基準作成と、その実質違法性
仕事を減らすために3週間以内の傷害は起訴しない、の基準です。飲酒をしていても結果が3週間以内の傷害ならば、起訴しない。ところがこれは刑法上立派な傷害で、本来犯罪です。法律上犯罪です。今日でも、警察ではどんな傷害程度でも全件送致主義となってるように、検察も原則起訴主義でしたし、そのはずです。したがって本来こんな新基準は許されるべき筋でありません。にもかかわらず検察は全件送致主義、全件起訴主義を実質的に骨抜きにして、内部だけで手抜き基準を勝手に決めたのです。

反対論
当然検察内部から猛烈な反対がありました。どうしてか、といいますと、飲酒運転をしていても結果的に3週間以内であれば、起訴しないとなると、おかしいじゃないか、厳罰化の時の命を守るという交通検察独自の使命感を放棄するのか、となります。現場の猛反対があったようです。昨日まで一生懸命に、初犯から実刑を、と言っていたのと反するからです。
しかも問題は、3週間以内の傷害といいますが、何を基準とするのかというと、警察が事故から間もない時期に、医師に指示して書かせた警察用の診断書です。これには、警察の要請で【治癒期間の見込み】を記載する必要がある。
ところが、現場の医師は見込みなど本当は書けないという。書けないのに、無理やり記載がある。それが交通事故の捜査では通用してしまう。2週間の治癒期間といっても、実は1ヶ月以上通院している場合もありますから、当たり前です。そういう警察や検察に都合のいい、マニュアル作りだけが正義となってしまっているのです。ですから、実は3週間以内の傷害といっても、実はかなり重い傷害程度も含まれているのが実情です。それでも検察や警察は調べなおすことは、絶対にないのです。診断書は事実でないのに、診断書という紙が正義となるのです。恐ろしい事です。

反対論の封印
ところが、新基準を昭和61年から、後の検事総長となる前田宏高検検事長の時に、東京高検内のみで試したら、何と1年間で60%の起訴率が16%にまで急降下。劇的効果でした。もちろん東京高検としたら、笑いが止まらないというデータだったでしょうか。 さっそく札幌高検がこれを真似、次々と全国の高検がこれを真似していきました。次々にというのは、それぞれの検察が反対したからです。どうしてか、《送検してもどうせ起訴しない、となると警察も一生懸命捜査をしなくなる、捜査の士気がなくなる、昨日まで一生懸命にしていた『交通事故撲滅、初犯から実刑を』という命を守る捜査の使命に反する》という現場の声です。それでも事件が減り、仕事が減る、あまりにも劇的に仕事が減ったため、全国に普及したのです。昭和62年から数年で、検察の新基準の運用が完成しました。この間の事情を表すように、『佐賀地検79%に対して、東京地検22%で起訴率の格差差が大きすぎる』との新聞記事もあったようです。
それまでは起訴すべきかどうかは、原則起訴でした。激増する交通事犯に対して、初犯から実刑を、命を守る検察の使命感に燃えていたのです。ところがなぜか、起訴しなくともいいんだというわかりやすい基準を作成しました。3週間以内の傷害は起訴せず、しかも飲酒運転でもこれを切り離し、3週間以内の傷害なら起訴しないという、ひどいものでした。危険運転致死罪が出来た今でも、この切り離しが問題となる場合がよくあります。たとえば過失内容として、飲酒をしているかどうか、非常に問題だと思うのですが、過失内容は前方不注意と起訴状には記載されている場合があります。切り離し政策のためです。飲酒と業過とは切り離していたから今でも過失として、飲酒したままで運転する事が過失とはされないケースが多い。
世間に全然知られずに、検察は内部運用を変え、交通事故は起訴せんでもいいとなったのです。こうして法律によらずに、検察独自の方針として、多数の交通事故事件を不起訴にしようと出来上がりました。同時に検察の人事改革も行いました。後でいいますが、副検事が交通事故をやる、としたのです。

検察の方針転換が間違いない事実かどうか確認をしました
検察の方針転換や新基準作成について確認しなければ、と思い高検の上層部元札幌高検検事長であった、佐藤道夫参院議員から、直接話を聞いたのです。昭和50年代頃から、検察内部での議論があったようで、『私も反対したんだよ。酒を飲んで運転しても怪我の程度が3週間以内なら起訴しなくていいなんて、そんなことが許されるのかと、ある裁判官からも何だこれは、と言われたよ。あの時は前田君が決めたんだ』というような話でした。どうして、急に昭和62年から起訴率が激減したのかわかりました。
 要するに、検察が組織ぐるみで手抜きをしたとなります。もちろん検察にも言い分があり、死亡事故が増えすぎ、前科者があまりに増えた。こういうのでいいか、罰金が昔ほど効果がなくなってきた、処理件数が多い。そのため、副検事職の大量の登場となったが、それでも難しいので、起訴不起訴の区分けを簡単にしようとした、が言い分です。 3週間以内傷害は不起訴、飲酒していても傷害結果が3週間なら起訴せずとなったのです。

死亡事故の不起訴はどうか
資料4は平成5年版犯罪白書のデータであります。死亡事故に限定して、起訴すべき事案についての、起訴猶予率の9年間の経過を示しておりますが、興味深いのは、起訴すべきかどうかの事件の起訴猶予率が10倍に拡大していると読めます。死亡でも手抜きをしている証拠が出てきました。 やっぱり手抜きです。軽微な傷害事件のみが非犯罪化対象であるのに、実際には死亡事故まで手抜きをしてます。大胆な手抜きです。

副検事の交通部への集中
この時、実施された検察改革で重要なことがもう一つあります。
昭和60年頃までは、一般刑事事件でも副検事が検事と同じように仕事をしてきたのであり、その中で揉まれる中で犯罪への正義に燃えていったのであります。検事に期待される正義感も育っていったのです。この時行なわれたのは『肩代わり是正措置』といわれるものです。本来一般事件は正検事が行なうものだとされ、一般刑事事件から副検事が排除され、副検事は交通部となった。すると、交通部の副検事にやる気がなくなります。やる気がなくなると、正義感がないから公判対策にも自信がない。形式的画一主義を採用するしかない。全件原則起訴は、辞めましょうとしたのです。また副検事交通事故大量採用もしたが、検察官としての一人前の中身がないから交通検察は腐敗する、となります。