なぜ、交通事故が軽く扱われるのか(1)の続き
平成15年5月20日
 

過失犯の難しさ
交通事故は過失といいますが、実は犯罪としてどう考えるかは、実は非常に難しいのです。たとえば、飲酒運転での事故は悪質な事故とされますが、ところが、検察の起訴状には、『飲酒して乗ることが過失』とは通常記載がない。飲酒運転でも、事故発生の直前の意識に責任を求める。飲酒運転事故の過失は、衝突時直前の前方不注意に責任を求めており、乗車する時点に過失を求めない。直近過失論といいます。このため、飲酒運転の同乗者に、責任を求めるのが、理論的にも困難になるという面すらある。だから同乗者の責任は検察でも難しいとなる。飲酒運転幇助罪で起訴できる場合が少ない理由です。
過失を犯罪として考える時には、非常に難しいという面があるということです。それが事故処理を難しくし、軽く扱う傾向を生みやすいとなる。難しいからマニュアル処理となるということです。

現場捜査の難しさ
 また、事故の現場捜査についても、直後から非常に難しい面があります。どこで被害者を認識したか、でも重要なことですが、実は、被疑者が積極的に指示することは難しい。被疑者としては、ここらあたり、と抽象的に答えるしかない。現実には、現場警察官が指示、誘導した地点が、気が付いた地点とならざるを得ない。ところが、それが遺族や被害者の悩みを生んだりもする。
分析も難しい
 そのうえ、一瞬の事故原因を突き止めようとすれば、科学的な立証や鑑定等が必要なのに、被疑者の言い分どおりにされている現実もある。捜査方法としては、岡引的捜査を抜け出していないのに。
 だから、後日遺族が争う場合に、高額な私的鑑定とやらを頼まざるをえない。そういうビジネスを生む土壌がある。ところが調書として紙になった途端に、正義となりやすい土壌が既に完成している。交通事故司法の現実の世界です。
被害者側弁護士も、刑事事件の事故内容の調書を争う仕事は、弁護士になってから、ほとんどしていない。というのは、刑事事件でさえ、情状弁護のみしてきた。事件の調書を争う仕事は普段からも、これまでも一切していない。ところが実は被疑者や目撃者の調書に嘘があるのが交通事故の捜査記録の世界。したがって、『これを争えばいいんです』というビジネスやらが出てくる。弁護士も頼りないから、知識の豊富な事件屋さんが出てくる土壌ともなる。
しかし壁は争う土俵の司法の中にある。
以上の状況にあることを、被害者遺族も認識しなければなりません。自己責任の世界ですが、そういうシステムが事故の解決面にあります。
交通事故がどうして軽く扱われるのか、ということを考える上でのポイントの解説です。