交通検察 なぜ捜査検事と公判検事の2名が交替せねばならないのか? 平成15年1月28日
 

被害者の家族のこころを理解できない警察や検察に対し、息子を失った母の闘いが雑誌“ い き い き”2003年2月号に掲載されました。  
福岡の小学生6年生死亡事件で交通事故の捜査を担当した検事が、2人も交代させられるという事件が昨年5月に福岡でありました。子供さんのお母さんが遺族の心を理解できない検察官の交替を申し入れ、認められた事件です。
異例の事態が起こる背景にあったのは、遺族感情を理解しない警察や検察へのとまどいや、深い悲しみのなかでも「声を上げなくてはならない」と活動を続けた遺族の力があったからでした。

( 母親談 )私は泣き寝入りはしない。
『重大な過失で交通事故を起こして人を殺めても、加害者が必ず逮捕されるわけではありません。加害者は以前と変わらない生活を送り、すぐに違う場所に再就職し、肉親にも事故を隠し続けていられたのに対し、私たち遺族は悲しみのなかで生きていかなくてはならない。私は講師をしていた専門学校も辞めました。家の外に足を運ぶことなどできなかった。ましてや、子供が引きずられ即死した道路は私の通勤路でもあり、精神的に通勤は不可能でした。

十分に保護される加害者、置きざりにされる遺族。不条理
 この不条理を少しでも解決に導く方法は、加害者に犯した罪を償ってもらうこと。そのためには、検察官が有罪を立証できると判断して起訴し、刑事裁判の場でしかるべき判決が下されなくてはなりません。でも、何をすればいいのかわからない私たちが、最初に訪ねたのは公的な相談所の弁護士でしたが、その対応は「ひどい」の一言につきました。以来、8人の弁護士のもとを訪ねましたが、この人になら託したい、と思える方は見つかりません。それどころか、繰り返し繰り返し、思い出したくもない事情をお話しするうちに、私はこころを痛めてしまいました。PTSDとの診断でした。少しずつ道が見えてきたのは、インターネットでTAVの存在を知り、交通事故被害者の遺族による自助グループを教えていただいたときから。事故から8ヶ月が経っていました。同じ経験をされた方と痛みを分かちあい、警察や検察に関するいろいろな情報と、悲しみのなかでも行動しなくてならない、とのアドバイスをいただき、信頼できる弁護士にめぐり会え、片山隼くんのお父さんともお話しました。以前、片山さんのお父さんのお姿をテレビで拝見したときはわかりませんでしたが、いまはどれほどの思いで再捜査を求める運動をされたか、お気持ちが痛いほどわかります。私も片山さんと同じように署名活動を思いたちましたが、街頭に立つ気持ちにはなれず、3人の友人にお願いしたのがはじまりでした。交通事故をなくそうという願いをこめた署名は学校や地域に広がり、人の「和」だけで全国から3万を超える署名をいただきました。署名にお手紙を添えて送ってくださる方も数多くいらっしゃいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

遺族の気持ちのわからない警察や検察の対応。以前と何も変わっていない。
 光平の事故を担当した警察官と、遺族調書をとるために会ったのは、事故から3か月ほど経った11月初旬のことでしたが、それが年明けに延び、結局、書類送検が行われたのは、2002年の2月14日のこと。この間、警察から連絡もらうことは1度もなく、私から警察に何度も電話して、「地検への送致はいつになりますか」と聞いていました。
 やっと書類送検されて起訴の前まできても、起訴を決定する捜査検事にとっては、数多くの仕事の一部に過ぎません。最初の検事はすぐ転勤し、後任の女性検事にも、新しく上申書を書いて持参したのですが、待っていたのは呆然とする言葉でした。「まだ加害者には会ったことはないけれど、若い女性だから謝りかたを知らない。そこを理解してあげないといけない」。署名の受け取りも拒否されました。検察は被害者の味方だ、遺族の気持ちをわかってもらえるはずだという信頼が音をたてて崩れ、私は涙を抑えることができませんでした。「弁護士は選ぶことができても、検察官を交代させることはできないんですね」という一言でした。弁護士が検討したうえ、担当検事の交代を求める請願書を高等検察庁に提出することになったのです。しかし、交代の前例はほとんどないうえ、申請が認められなければ、その女性検事が続けて担当することになります。交代させると返事がきたときにはほっとしました。そして5月、加害者の正式起訴が決まりました。

警察や検察のシステムは息子の冥福を祈る日々を与えてくれない。
 息子を失って感じたのは、遺族である私たちと周囲の方との「温度差」のようなものでした。「もう落ち着かれましたか」「元気そうで何より」とみなさん口々におっしゃいます。もちろん、心配してお声をかけてくださるのはわかりますが、元気なわけがありません。周りの方の何気ない言葉が、いまもこころに突き刺さります。まだ悲しみは癒えず、いままでの生活範囲では買いものもできなくなりました。しかるべき結論を得て、光平の遺した品を眺める日々を送りたい。冥福を祈ることに専念したい。けれど、警察や検察のシステムは、その願いを叶えさせてくれません。隼くん以来、法律は変わりましたけれど、遺族が働きかけなければ、警察も検察も何もしない点は、以前と変わっていないように感じます。』

事故発生から裁判までの道のり

2001年 7月
光平くん(当時11歳)が横断歩道上で前方不注意のダンプカーにはねられ死亡。
11月
警察で遺族調書作成。書類送検は年内の予定と伝えられる。
2002年 2月
加害者の書類送検が行われる。捜査検事に上申書を提出する。
3月
TAVの情報で弁護士を知る。署名活動を始める。
4月
後任の捜査検事に面会し上申書を提出するも、冷たい対応をとられる。
福岡高等検察庁に捜査検事の交代を申請し、認められる 。
5月
加害者の正式起訴が決定する。
8月
第1回公判。ミスが目立つ公判検事の交代を申請、認められる(被告人をさん付け)。
9月
第2回公判。光平くんの父親が証人尋問に立つ。
10月
第3回公判。被告人質問が行われる。
11月
第4回公判。被告人質問の続きと検察官からの質問。
12月
第5回公判。母親が意見陳述

警察・検察・弁護士。交通事故の「関係システムすべてに歪みが出ている。 
 ( 松弁談 )
 光平君のケースは、交通事故裁判の問題点を如実に表しています。いまの日本は、交通犯罪の加害者に対して非常に甘い国です。
 1960年代に交通事故の罰則が強化されたとき、負傷者の数が99万人から60万人に減少したことがありました。しかし取り締まりを強化した分、書類送致される件数も増加し、処理できないという事情から、86年以降検察官が、交通犯罪を不起訴にする割合が高まりました。結果、現在の交通犯罪の起訴率は7割強から約1割に低下し、公判が開かれるのはその1割。結局年間80万件ほどの人身事故のうち、実刑判決が出るのは800件程度しかありません。
 また、交通事故裁判の多くは副検事が担当します。副検事は、検察事務官から選抜され、司法試験を通過した正検事とほぼ同等の仕事を行います。この制度自体はいいのですが、制度の運用がうまくいっていない。副検事が、表現は悪いのですが、野球でいうところの二線級ピッチャーの扱いであることもあって、裁判官や加害者の弁護士に遠慮するケースが目立つのです。そうして被害者側に立った対応をとるというよりも、裁判が円滑に進むよう調整を図りがちになります。
警察の対応も問題が山積みです。一般の傷害事件では8〜9割の加害者を逮捕するのに対し、交通犯罪では1割程度。身柄を拘束されることもない、お客さん扱いの取調べです。しかもほとんど起訴されないため、捜査がおざなりになりやすいという調査結果も出ています。
 そもそも交通事故だけ警察が捜査情報を独占していることがおかしいのです。医療事故や労災事故は、弁護士が情報開示を請求できるのに、交通事故だけはそうなっていない。犯罪扱いされないうえに、情報が被害者の遺族に知らされないため、事故が起こったのは自分のせいではなかったかと自分を責める遺族の姿を数多く見てきました。
 弁護士は、被害者から相談を受けても、損害の回復、つまり補償金が仕事の内容だと勘違いしているところがあります。交通事故の刑事裁判で遺族が望んでいるのは、加害者が罪を償い、真実を明らかにすることなのに、わかっていない。被害者と検察のあいだを取りもたなくてはいけないことに気づかない。
 交通事故裁判に登場するのは、裁判官・検察官・被告人・被告人の弁護人の4者で、依然として被害者の遺族は裁判から除外されています。片山隼くん事件以降、犯罪被害者保護法が制定され、刑事裁判の最中でも、記録を閲覧して加害者の発言を知ることや、意見陳述をすることも可能になりましたが、これらにしても発言の機会を与えられたに過ぎず、しかも実行には裁判長の許可が必要な消極的なものです。法曹界や警察は、あらためて被害者保護の意味を考えなくてはなりません。