交通事故不起訴事件 遺族の知る権利訴訟(5)
争点公開
平成14年12月10日
 

争点【捜査に文句を言うな  被害者に文句は言わせない 】警察検察が反論

今司法改革が求められているが、国の主張や大阪府の主張を検討すると、まさに改革が必要な諸事情が反映されているようです。検察警察の反論は『捜査に文句を言うな』です。
警察と検察の根拠
『そもそも、犯罪の捜査及び検察権の公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行なわれているものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者が捜査又公訴提起によって受けるは、公益上の見地に立って行なわれる捜査または公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない、というべきであり、被害者又はその遺族は、捜査機関による捜査が適正を欠くこと又は検察官の不起訴処分の違法を理由として、国家賠償法の規程に基づく損害賠償を請求することはできないというべきである。なお、被疑事件において検察官がなした不起訴処分の不当ないし違法の是正は、検察審査会の審査等によって図られるものである』 
『被害者又はその遺族は、捜査機関による捜査が適正を欠くことを理由として、国家賠償法の規程に基づく損害賠償を請求することはできない』とする。

 『おいこら』警察官保護 明治時代の官僚中心国家感ですね。
 まず、こんな判例があるとびっくりしますね。明治時代的な官僚国家思想が今でも通用している判例の世界があるのかと疑います。でもこんな判例があるのですね。最高裁の判例らしいです。しかしです。どんな捜査がなされても『市民は黙れ』という発想です。すべての捜査にこれが通用するのであれば、日本は民主国家ではない。警察国家、秘密警察や秘密検察を容認する国家であり、官僚独善主義国家といってもいい。
それでも最高裁判例があるとするのであれば、百歩下がって議論すると次のとおり。

交通捜査にどうして文句をつけたらあかんのや! 以下理由です。

  1. まず、この見解は起訴と捜査とを並べて議論している点で緻密ではない。味噌もくそも一緒との議論である。交通事故の捜査という点に焦点を充て議論しなければならない。
  2. また、判例の事例でいうと、一般的な犯罪捜査に不正があったからといって、直ちに被害者の慰謝料請求発生となるわけではなく、一般的には捜査に不正があっても、反射的利益に過ぎない場合が多いのが通常であろう。原則論であるという意味では正しい部分もあろう。しかしながら、交通事故の捜査にあたる警察官が加害者の供述通りに証拠をねつ造したりすることは最近の新聞でもよく見受けられる現象である。極めて形式になっており、捜査に士気がないからである。犯罪を摘発するという正義感など皆無である。捜査が捜査でなくなり、事務的行政的なのである。本件のように加害者の供述に反する目撃者を徹底してつぶす行為は、原告の立証活動を妨害するものであるし、また、交通事故の捜査はいわば証人尋問を警察官が裁判官に代わってしたり、あるいは証拠作成過程そのものであって、特に最近では80万件の検挙件数のうち、その9割が不起訴となるような事態にいたっては(かつては27%が不起訴だった)警察の調べによって、民事上の過失割合が決定するのであり、供述調書作成が不当になされれば、或いはねつ造がなされれば過失割合が逆転し、割合=権利侵害に直結するのである。警察の捜査によって被害者原告の権利が直接的に侵害されるのであって、反射的利益などではない。
  3. 『犯罪の捜査は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行なわれているものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者が捜査又公訴提起によって受けるは、公益上の見地に立って行なわれる捜査または公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない』と断定することは、交通事故=業務上過失致死傷罪についてはできないといわねばならない。一般的な被害者のない覚せい剤事犯などにはそのまま通用する。しかし被害者のいる犯罪、特に交通事故事犯=業務上過失致死傷罪については、あてはまらない。特に交通事故非犯罪化とされる政策下では、警察の捜査の主目的は被害者と加害者の過失の割合を決定する仕事であるといっても過言ではない。社会秩序維持であれば、どんどん起訴されるべきであろうが、事故があってもほとんど起訴されない現実の日本では、この社会秩序維持のために捜査があるとする言葉は空しい響きがある。
     今の交通事犯の9割について、国は政策により不起訴としている時代である。かかる時代にあって、『社会秩序という公益を図る目的が交通捜査にある』と断じることは、非常に詐欺的な言葉にしか理解できない。
  4. 交通事故の捜査を警察が独占していること、を国や大阪府は理解していないようである。労災事故あるいは医療事故は性質上、捜査がすぐ入ることはあまりない。そこにおいては被害者は証拠保全によって、事故を引き起こした機械やカルテ等について証拠保全ができる。ところが、交通事故は被害者を完全に排除し、警察の独壇場である。100%である。ある意味で、被害者がやるべき証拠保全を、警察が代行しているのであり、被害者からの実質上の委託があるのである。被告大阪府や国はこの『交通事故捜査独占』の意味をまったく理解していない。
  5. 交通事故捜査の重要な意義
    しかも交通事故の捜査を見れば、交通事故捜査は、裁判的な仕事までしているのである。警察が目撃者に聞き、目撃者に現場検証に臨んで聞くなどは、まさに裁判の機能を代行しているのである。実況見分調書などはまさに裁判所の現場検証や証人尋問などの重要な機能を1人か2人の警察官が行なっているのである。また員面調書作成なども重要な仕事である。記憶を再現し、それを1人の警察官が反対尋問を経ずに、作成しているのである。かかる重要な仕事に警察官の誘導や誤導がないわけではなかろう。このリスクの補修制度は何ら制度上存在しないのである。弁護士さえ立ち会わせることはありえず、また被害者にも何ら立ち会わせないのである。
    しかも交通捜査がかかる裁判的な仕事をしていながら、到着点で待ち受けている結果はほとんど不起訴というものである。そうすると正義感など生じるわけがないのである。 たかが交通事故という意識となるのが自然であるし、調書を作成しやすい被疑者の言い分どおりとするのが自然なのである。
  6. 被疑者調書を作成した警察官が目撃者調書も平気で作るという意味
    特に被疑者調書を作った警察官が、目撃者の調書を作るなど本来してはいけないのである。被疑者の言い分を聞いた人間が目撃者からどうして中立な言葉を聞けようか。本件でいうと、Kはこういう不当な形式的な捜査の手続きミスを平気で行なっている。
    法務省や検察庁はかつての業務上過失致死傷罪の厳罰化立法化やその初犯から実刑をという運用(交通3悪許すまじ)によって、副検事を大量に配置してもなおも大量の事件を抱える交通副検事の仕事の量を減らすために、『交通事故非犯罪化』『不起訴原則主義』を昭和62年頃からうちだし、法務省は平成5年版犯罪白書において、業務上過失致死傷罪について『非犯罪化』を正面から認めだしたのである。このため、かつて昭和61年までの73〜75%の起訴率は今や11%にまで低下した。このため、交通捜査は極めて形式的なものとなり、正義感のないものとなり、日経新聞のアンケートによれば、交通警察は現場の警察官の9割に職務への士気がないとされている。そこでは正義よりも、事務処理効率を考える警察の姿しかないのである。どうせ調べても不起訴になるのであるからという気持ちに、交通警察官が支配されるのは極めて当然の成り行きである。
    こういう中で、どういう捜査がなされようと、被害者や遺族は文句を言わせないとする警察や検察、判例の立場を代表する裁判所の立場は、被害者や遺族を排除するものであり、その民事上の立証が警察の調書等によらざるを得ないことを一切無視した、極めて冷淡な態度であって、法治主義という言葉が空しい。大阪府や「被害者や遺族の立証活動の息を止めるものであり、遺族の立証活動を妨害するものである。特に谷は直接的目撃者であるにもかかわらず、これを封印した行為が悪質である。現場検証に使った車は谷の乗車していた車を使わず行われたことは間違いのない事実であるから、大阪府の主張は釈明にも応じないのである。
  7. 交通民事裁判の実態
     交通民事裁判は、警察の調書を当然の前提として、疑いのないものとして、極めて事務的、マニュアル的にされている。損害のマニュアル化だけでなく、審理も交通事故捜査記録を当然の事実として、ごく短期間で審理しているのが実態である。かかる中にあって、警察の捜査について、何ら異議やクレームをとなえられないとしたら、完全に被害者や遺族の権利侵害を救済する方策はないのである。
    極めて被疑者の言い分どおりの仕事をしながら、目撃者つぶしをしながら、それでも被害者はそれに従わなければならないとしたら、正義派ないものといわねばならない。公務員同士で仕事のミスをかばい合う構図しかない。そのためには、平気で被害者の権利侵害の排除手続きを行なっているようにしか見受けられない。