重度後遺症裁判のために(9)
平均余命10年という最高裁の亡霊判決の意味
平成14年11月8日
 

重度後遺症被害者の民事訴訟において、もっとも冷酷な争点が平均余命年数の問題です。
植物状態の被害者である場合に、最高裁は昭和63年6月17日、7歳男児について余命40歳(通常77歳)としたり、平成6年11月24日32歳男性につき、平均余命を口頭弁論終結時から10年(通常45年)とした原審を支持しました。これらの最高裁の実質的な根拠となっているのは、自動車事故対策センターの入所者のデータです。しかし、これは、重度後遺症の入所施設としてデータ当時の劣悪な環境であることを考慮しておらず、ただ、数字のみを根拠としているのでありまして、自宅介護者のデータ上の暗数を拾い上げておりませんから、データそのものが損保寄りのものなのです。また医師の意見書もこういう場合に、よく出てきます。しかし、残り生存期間を残り20年とか10年とか正確に予測などできるわけがありません。例えば、通常でも一般人でも顔色が悪い人がいて、余命年数を断言できるわけがありませんし、まして、介護が有る意味では万全である重度後遺症被害者について、平均余命について、断言できるわけがありません。にもかかわらず、こういう馬鹿げた理屈が横行するというのは、なぜでしょうか。
 一つには、脱却であるとか、家族の良くなってほしい、という介護やリハビリへの痛切な思いが理解されていないことにもありますし、人間の死亡ということの考え方の違いかもしれません。脳死がいつか、という議論とも関連するのでしょうが、生きている限りは人間なんだぞ、という考え方が介護家族であり、そうでない考えが最高裁の立場かもしれません。
 最高裁はこの前例の判決をくつがえすような判決をまだ出していませんから実務上はこの最高裁判例は亡霊となって、重度後遺症事案の裁判で苦労させられます。幸いなのは平成6年以降、かかる最高裁のような冷酷無残な判決は下級審では出ていません。交通事故訴訟では良識は下級審にむしろあるようです。大阪地裁でも、ここ数年議論された判決が出ておりますが、平均余命について、損保の主張を排斥しているのが実情です。
 裁判をする家族は脱却やリハビリの努力をすることは、熱意と希望をもってしている場合が多いのです。絶望を通り越したところにいるということを最高裁の裁判官は知って欲しいものです。現在の科学的知見をもってしても、植物状態であるがゆえに、生存期間を短縮しなければならない必要性や資料は見当たらないのです。どうして、平均余命について、重度後遺症被害者、特に植物状態被害者について例外扱いをするのか? これは良く考えると、憲法の保障する法の下の平等に明らかに反しています。最高裁の裁判官が1番人権感覚がない、というのは悲しいことであります。