飲酒運転死亡事故
最新のアメリカの刑罰は懲役20年
平成14年8月20日
 

 2002年8月7日の『ハワイホウチ』記事に飲酒運転致死判例が載りました。
日本の刑罰がどんなに軽いか、そして、その背景にある車社会の考え方の日米のくい違いについても実感します。

記事内容は次のとおりです。
『(アメリカ合衆国ハワイ州)コナ巡回裁判所は、コナのカイルアで飲酒運転によってカリフォルアの旅行者を殺害した罪で8月5日、20年の懲役刑を言い渡した。ラノルド、イーバラ判事は、ステファン、セントククレア被告に対し、殺人事件でハワイ州法としては1番厳しい懲罰を宣告した。
 2002年2月23日、ハレ、ハワイ、オ、ホルアロア教会の外のアリイ、ドライブ路肩に立っていたサンタ、バーバラ在住のジェーン、オブラレインさん(58)はセントクレア被告が運転する車と岸壁の間に挟まれて死亡した。
 セントクレア被告の血液中アルコール濃度は、0,21。裁判での証言によると、衝突前にホロアロアビーチで、飲酒し、24オンスのビール2瓶等を飲んでいたという。6月に陪審は、殺人、飲酒運転、第2級無謀行為、保険未加入、で有罪を評決していた。
 オブライレインさんの友人ダニエル、ポトキン氏(64)は20年の懲役刑に満足を表明した。ポトキン氏はオブラレインさんの家族とともに、6ヶ月以内に行われるセントクレア被告の仮釈放聴取の傍聴を予定しているという。
セントクレア被告の弁護士マイケル、マックファーソン氏は「殺人罪ではなく、軽い刑罰の過失致死が相当し、すでに証言した通り、被告は飲酒の招く危険性についての認識が無かったと主張している。
セントクレア被告は殺人罪以外の刑罰として、5年間の免許停止、飲酒運転で1ヶ月の懲役、無保険で500ドルの罰金も言い渡された。』

事例の分析
 日本でも危険致死罪の適用が既になされており、施行後もう少しで1年経つ。刑の言い渡しについての判例も出来つつあるが、アメリカと決定的に違うのは、場合によっては殺人罪での処罰もあるかどうかという点に尽きる。日本では殺人罪の適用はまったくないといっても過言ではないと思われます。日本で危険致死罪とされる事例の中には、殺人罪となりうる場合もありうるのではないか? コナの裁判所が殺人罪としたのは、人身事故の前科があることを重く見たのでないか、というのがハワイホウチの記者の言い分だったが、車は飲酒運転者にとっては、凶器となることを陪審員が判断したからに他ならない。
車を便利な道具とみるのは一般的感覚であろうが、それを使うのが酔っ払いであれば、凶器と化するのであり、そうである以上、交通事故の前科があり、危険性の認識において確実であれば、殺人罪とされる場合もあるものと解釈される。しかし日本の実務では、どんなにひどい酔っ払いでも、殺人罪として起訴されることはないとされている。どうして、日米で食い違いが出るのか? 日本の刑法学界では未必の故意と認識ある過失の基準により、殺人となるかどうか、が議論されている。この議論の延長でいけば、酔っ払い運転は危険性についての認識のある過失とされるのであろうが、車が時として凶器となることもあると思う立場からは、納得の行く結論ではない。
日本では、検察官(及び法務省の役人)がドライバーの視点でしか、事故を評価しないからであるし、他方、アメリカでは、車が場合によっては凶器となることが現実にあるということをアメリカの陪審員がよく認識しているからである。それは銃を持つ人間が時として安易に人を殺すという経験を持つ銃社会に住んでいるアメリカ人の危険の実感に裏付けられている、といっても過言ではない。銃による無差別殺人がよくある国でもあり、酔っ払って車に乗ることは、自分が被害にあうだけでは済まされず、多数の人間が犠牲になる蓋然性が極めて高く、出会い頭の事故では済まされず、大事故となる必然性を有しており、かつパブリッククライシスを惹き起こす蓋然性が高い。このため社会的な規範の厳守のためにも、飲酒運転による致死罪は殺人と同等の扱いをすべきことなのである。
 車社会はある意味で、銃社会と共通の土俵がある。公共の危険性の重大さがあり、公共危険犯が飲酒運転なのである。したがって、飲酒運転で人を殺傷した場合には、公共危険犯の著しい危険性に照らして、重罰とされねばならないのである。
 また、アルコールは時間と共に消滅し、アルコール探知捜査に自ずから限界がある以上、飲酒運転の抑止力としても刑罰自体の重さが決定的といわねばならない。飲酒運転の予防は刑罰の重さによってのみ抑止されるといっても過言ではない。
 たとえば、飲酒の場合、よくひき逃げがあるといわれる。これに成功すれば、飲酒運転による致死罪とはされないからである。また、いわゆる「重ね飲み」をして、摘発を免れるドライバーがおり、それが職業ドライバーの常識やドライバー間情報として通用し、脱法行為が公然と行われている、とも言われています。これら飲酒運転発覚の脱法行為を防ごうとできないわけではないが、限界がある。むしろ、飲酒運転の社会的危険性に焦点を絞れば、それは無差別殺人といえるのである。それが銃と違うのは確定的な殺人の故意であるかどうかだけにすぎないだけです。
 ちなみに、ハワイホウチの編集局に電話確認をしたところ、『飲酒死亡事故について、殺人罪の適用は決してまれではなく、特にここ数年飲酒運転で子供を亡くした母親の会など被害者遺族の声も強くなってきてからは、殺人罪として扱われる例が多いです』とのことであった。
以上、日本が本当に車に対して、走る凶器として認識している社会であるか、重罰こそ社会的危険性である飲酒運転を防げるのだという認識を持つ社会であるかどうか、考えさせられます。飲酒運転致死罪について、求刑や、判決で懲役5年すらほとんど上回ることのない日本の司法の検察官、裁判官は飲酒運転の危険性の意味を再考願いたいものです。
 飲酒運転は故意による殺人罪です。現行法上、この殺人罪で裁かれるべきであり、これを立法論として飲酒致死罪に殺人罪の適用をしないのは、飲酒社会を放任し、飲酒運転を放置容認するものであります。なぜ日本の司法がこれを殺人罪としないのかは、原因はいろいろでしょうが、車を凶器とみなす価値観にたてば、当然に適用がなされる場合もあると思われます。
(なお、ハワイでは幹線道路において、路上駐車は厳禁されており、路上駐車を見かけることはほとんどありません。これは郊外の道路でも同じです。路上駐車の危険性に如何に敏感な社会であるか、と感じるほどである。中央分離帯に植樹などもない。車の危険性に行政はきちんと配慮しているのであります。)