重度後遺症裁判のために(2) 平成14年2月9日
 

遠隔地から重度後遺症家族よりも相談を受ける機会も多くなってますので、より具体的戦う為のアドバイスをしていきます。
(2)刑事裁判が開始されてから
●相 談●
『先生、刑事裁判は私らは傍聴した方がいいんでしょうか?』

●回 答●
まず、刑事裁判から説明しますと、刑事裁判を傍聴したら、わかりますが、被害者は当事者席にいません。また参加するのは検事から要請されて証人席に立つ場合のみです。でもこれも家族の被害者調書としてありますので、被害者の声が法廷に響き滲み出る機会はありません。検事の熱意のなさだけではなく、書面があるから十分だ、という法廷の弁護人、裁判官、検事の合意があるからです。こういう被害者を参加させず、排除する司法のシステムには積極的に声をあげて介入していかないと被害者の声は伝わらないのですね。 

 被害者参加の例を挙げましょう。昨年、相談を受けていました重度後遺症となった被害者の刑事裁判の法廷に意識障害となった被害者が傍聴されました。もちろん家族の思いと労力を使われて、法廷まで連れてこられること自体大変でした。何人もの労力を要しました。「見て欲しい」という家族の願いは強いものがありました。真実をもちろん明らかにして欲しい、という事件の特質にもありました。加害者は赤信号無視を完全否認している事件でした。事故直後加害者は病院に電話してました。被害者の様態を不自然に聞くものでした。本人が直接ではなく、知人を通してです。電話の趣旨は「意識があるのか、ないのか」ということのようでした。それを後でしった家族は怒り心頭です。なぜか、謝罪よりも犯人は被害者が事故の内容を認識しているかどうかのみに関心があったからです。真実解明に向けた無限のエネルギーを使うような毎日がはじまったのです。
介護をする一方で家族は加害者が否認する信号の色の真実を求め、鑑定を依頼したり、あるいは、目撃者を探しつづけるよう警察へ働きかけたり、毎日が全力投球でした。
 そういう経過がありましたので、法廷は被害者側の傍聴者でたくさんとなりました。そして、その上特別だったのは事故で被害に遭い、体も不随となり、意識も無い状態の被害者が車椅子に乗って、家族に支えられて裁判官の方へ向いている状態となりました。たまたま私も傍聴しておりましたが、異様な緊張した法廷の雰囲気を感じました。地方であったためにその雰囲気は特別のようでした。支部ではおそらくこんな裁判の風景はめったにないでしょう。
 そういう中で、加害者が冒頭から証言します。実に空々しい嘘の証言が続きました。家族と加害者のやりとりも勝手なでっち上げです。その後の法廷でも同様な状況が続きました。
傍聴席でのもの言わぬ被害者と加害者が同じ部屋に。特殊な風景であり、独特の雰囲気でした。
もちろん互いの会話はありませんが、会話以上のやり取りが滲み出てるように、感じました。検事も熱が入ります。裁判官の質問もいつになく厳しいものが有るように、その後の法廷の雰囲気を依頼者から聞くたびには感じられました。

通常と比べて公判も長かったのですが、刑の言い渡しは実刑2年でした。家族は到底納得できる刑ではありませんでしたが、基準でいくと、最高刑に近いものでした。死亡事故でもここまでは行かないのが実情ですから。傍聴することがどれほど大事か、知らされた事件でした。
 制裁的慰謝料ほか慰謝料増額となることとなることについて
刑事裁判官が2年もの実刑を決めたことで、行為が悪質である、と認定されたわけです。
これは将来の民事裁判等でも大事なことです。というのは民事上への刑事裁判の影響については、過失相殺について述べましたが、もっと重要なのは制裁的慰謝料(アメリカでは認められているが日本では慰謝料増額事情として斟酌されている)が認められることとなるのです。
 悪質な場合には慰謝料増額事情となります。また、遺族や家族が事故の原因等について、調査したりした場合に慰謝料増額となったケース(片山しゅん君事件)もありますから、事実解明に向う、ということの重要性もあります。
 また、家族が徹底した制裁を求める心情は極めて激しい感情とされますので、その後の加害者の行動も慰謝料増額事情となるのです。
 つまり、将来民事で問題となる「慰謝料」は、事故から数ヶ月で始まる刑事裁判で、被害者家族が積極的に戦うことのできる重要な機会となるのです。