捜査情報非公開理由について 平成13年12月10日
 

―後進国家並みの警察検察の「無謬主義と秘匿主義」の尊重?―
 交通事犯の捜査情報の非公開問題について、「知る権利」以外からアプローチしてみます。
最近の法務省や検察は交通事故事犯については,不起訴率を拡大し,その理由を非犯罪化としてきております。一般に犯罪捜査情報が公開されない理由は捜査の必要上やあるいは人権(プライバシー)保護のためといわれておりますが、交通事故事犯において非犯罪化政策がとられてきている実情では,交通事故の捜査情報を非公開とする理由に正当性はないはずです。犯罪扱いをされないからです。事件の殆どの9割が不起訴となっているのが実情なのです。
 ところが、交通事故犯罪において、捜査情報を公開しようという声は法務省あたりからも一切聞こえません。むしろこの法案が出るたびに,法案を潰す動きしかありません。
 なぜでしょうか? なぜ交通事犯の捜査情報を公開しないのでしょうか?
 一つのヒントが最近出た本にあります。2001年11月10日発行本です。
「日本の警察には組織権威防衛のための無謬主義と秘匿主義がある」とは『組織とエリート達の犯罪』(新田健一著 朝日新聞社発行)にある文章です。無謬主義は過誤を過誤と認めず、正当性を主張しつづけることであり、秘匿主義はそのために職務内容とその過誤を秘匿することです。警察だけでなく,検察の仕事にも当てはまることであります。
新田氏はさらに「警察は取り締まりや規制活動によって,基本的には市民と対峙する場面の多い組織であり,職務としての正当性と信頼性を確保することが業務の円滑な執行に必須の条件であるから、自らの過誤のよる世論の反発を極力恐れ、過誤を正当と主張し,それを秘匿することとなり、この正当化と秘匿化が組織の習性となれば、内部職員の個人犯罪にまでその傾向が波及することとなる。多数の人員の中で、個人的逸脱行為があるのはやむをえないとしても、適切な処置をすればいいのであるが、それにもかかわらず、なお隠蔽すること自体が警察文化の特徴である」と断言され,神奈川県警の一連の不祥事の背景を社会心理学者の立場から検討されておられます。
これを読むと、なぜ交通事犯の捜査情報を公開しないのか,分かりますね。交通事犯の処理においては死人にくちなしの例の言い方がよくされるように、加害者の供述どおりとする傾向が見受けられます。これを一旦捜査として終了してしまえば,調書という警察検察の仕事となるのですね。だから、交通事犯において、加害者の供述通りとしている供述調書を公開しないのは警察の過誤が分かるからですね。検証すらしていない仕事がばれるのが怖いのです。
 捜査情報の公開は最近の情報公開法の議論の対象からも完全に除外されたままです。国会の議論になっても,その対象からは外れてしまっております。日本の警察や検察の無謬主義や秘匿主義という後進国家並みの組織文化を尊重しているからでしょうか?
捜査情報を公開しないのは,警察や検察の無謬主義という後進国家並みの文化を尊重する為なんですかね?