遺影 法廷への持込みと裁判官の不許可 平成13年11月25日
 

遺影の法廷への持ち込みの願いを出した遺族に対して、岡山地裁津山支部が先日不許可にしたとの報道がありました。そして毎日新聞の報道があった直後に裁判官が遺影持込を認める、という報道もされました。被害者遺族をどう思っているのか?疑羽陽な裁判官ですね。それはさておき、遺影の法廷への持込とその禁止の意味を被害者学サイドから検討します。
遺影の法廷への持込みは何を意味するのでしょうか?
刑事裁判は加害者と検察官とやり取りする場です。被害者を排除するシステムです。被害者遺族は証人として出廷するのが関の山です。意見陳述が出来てもこの制度は歴然とあります。でも被害者の権利として刑事の法廷を考えれば、被害者が検察官の席に立つのが自然です。事実フランスではそうなってます(付帯私訴制度)。被害者が検察官と同じ立場に立つのです。ところが日本ではどうしてか,かかる被害者の権利の実現はまだなされておりません。したがって被害者は傍聴席に座っているだけです。事件については第3者なのですね。被害者を正当な権利者と見る立場からはこういう扱いは不当なのです。最近立法化された被害者の意見陳述権はこのような被害者の声を刑事裁判に反映しようとする立法です。これを権利同等のものとして扱うのか、それとも単なる恩恵として扱うのか,刑事裁判官次第となります。刑事裁判の日本の法廷における裁判官の特質としては「法廷秩序維持」にこだわる傾向があります。刑事裁判の厳格なイメージの部分です。そしてこれは被害者の声に目をつぶる傾向があるとされます。法廷の秩序維持を振りかざして,被害者が伝えたい被害者の声,それが遺影であります。被害者のメッセージは文章や被害者の意見など、文書や口頭でなくとも写真という方法もあるのです。それが遺影なのです。
遺影を提出したいと願う遺族にとっては遺影の持込は当然のことなのです。たとえるならば、ニューヨークのテロ犠牲者の追悼集会でも遺族の多くが遺影のパネルを掲げていました。集会に参加した人の殆どのようでした。被害者の出席という意味がこめられています。
また、被害者を追悼し、かつ被害者の声を伝える唯一の方法と認められているからです。しかも、遺影持込は刑事法廷における戦略として、そして遺族の戦う方法としてきわめて限定された方法なのです。意見陳述もその1つですが、遺影持込は検事や加害者と弁護人に被害者を見せる、という攻撃方法なのです。これは最大限尊重されねばなりません。それを刑事裁判官は侵害したのです。でもマスコミに指摘されて、これを変更するというのは姑息な裁判官です。