なぜ交通犯罪の実刑率がフランスでは日本の10倍なのか? 平成12年11月9日
 

交通犯罪とは刑法上の業務上過失致死罪と道交法違反である。他の国でも大体、日本と似た罰則がある。法務省は平成5年版犯罪白書で、他の国と交通犯罪の比較をしている。被害者にとって最も興味あるデータは、実刑率の比較であろう。この点については以前にも触れたが、今回はフランスと比較をしてみよう。
同じアジアの韓国は、日本の4.2倍、イギリスは日本の6.6倍である。日本では業過致死傷罪は、検察受理数68万人のうち約5千人が刑事裁判を受けているが、このうち実刑になるのは654人である(平成11年版)。これが韓国では4倍にもなるのである。単純に言えばフランスでは10倍の6,500人。上の数字でいうと、実刑数が公判を受ける人数を上回っている事になる。なぜこんなに違うのだろうか。
1つは、日本の検察庁が非犯罪化政策を執った結果、死亡事件の起訴率さえ昭和61年以降には10分の1にまで激減させてしまった事が挙げられる。傷害事件を含めて70%だった起訴率が、遂に12%となってしまい、東京地検管内においては、起訴率が8%となっている位であるから、実刑率が下がるのが当たり前である。
法律自体は昭和43年に厳罰化の改正が行われ、その結果、100万人近かった交通事故死傷者の数が、昭和53年には60万人にまで4割も減った。しかし、検察は長期未済事件が副検事1人あたり100件を超えるような仕事が続くあまり、この仕事を減少させる為に3週間以内の傷害事件は不起訴とし、しかも酔っ払い運転でもそれは道交法だけの問題として片付ける事として、今日では警察が調べた事件の内9割が不起訴として処理され、検察の仕事は未済なく、はかどっているのである。警察が一生懸命調べても不起訴となる事件ばかりなのである。
しかし、この説明だけでは日本とフランスの実刑率を比べた格差は説明できない。フランスの場合の実刑率が日本の10倍もあるのはなぜだろうか。これはフランスの刑法典にヒントがある。フランスは革命を経ている国であり、政治の犠牲になった被害者が為政者をギロチンで殺した歴史があるためか、被害者の権利なるものを明記している。交通刑事犯罪でも被害者自らが公訴提起できるのである。その上、刑事上の起訴だけでなく、民事裁判も出来る(附帯私訴)。被害者が交通事故の加害者を犯罪者として起訴することができるのである。したがって、検察官が起訴しなければ、被害者自ら起訴し、被害者が検事席に座り裁判に臨むのである。日本では、起訴は検察官だけが独占するものだという常識があるが、フランスには、日本から見れば信じられないような制度があり、そのためフランスの交通犯罪の実刑率が日本の10倍となるのも納得がいく。
日本では検察の起訴独占主義が当たり前のようにある。起訴不起訴の権限は秩序維持の為にあるのであって、被害者の為にあるのではないとの理由である。この点、フランスと日本の法務官僚の考え方はかなり違っている。
犯罪の中には被害者のある犯罪と被害者のない犯罪とがあり、後者の犯罪については秩序維持の為に起訴権限があるはずだが、前者の場合には被害者のためにも起訴権限があるはずである。正当に制裁を求める権限は、被害者にあって当然なのである。これを一切ないというのが日本の法務当局の考えである。あまりにも封建的な考えである。ついこの前まで、私的リンチが容認される時代があった。起訴権限は正に私的リンチの延長にあり、フランス刑法は私的リンチをそのまま法律上に反映したものであると言える。
また、日本の法務官僚の間違った考え方は大きな過ちを犯してきている。例えば、捜査情報は被害者にすら見せないというのは、被害者からすれば思い上がった考えであり間違っている。しかし法務官僚は、起訴不起訴権限、その延長の捜査権限は秩序維持のためにあると頑固に考えている為、不起訴記録でも目撃者の調書等ですら永久に被害者に見せない事は当然と信じているのである。秩序維持という言葉で検察の調書を見せないという体制から、戦前の日本の警察などを連想するのは私だけではないはずである。日本の法務当局の考えは、秘密警察や秘密検察を連想させる。フランスに学ぶべきではないだろうか。