「加害車両には無制限の任意保険があるので、将来示談が見込めるから刑を軽く」等のよくある刑事判決に対する怒り 平成12年11月9日
 

被害者遺族にも意見陳述権が認められるようになったが、許可不許可を決める裁判官に言いたい。業務上過失致死事件の公判で、判決を聞く被害者遺族の多くが、以下のような怒りを感じている。
1つは、「保険が掛けてあるから死亡事故でも罪が軽くなる」という判決理由である。裁判官はなぜこの様なことを言うのだろうか。そこには、命の代償はお金で埋め合わせできるという価値観があるように思われる。確かに窃盗等の罪なら、被害物や被害金額を回復できれば、それなりの説得力もあるだろう。それでも思い入れの強いものであれば、いくらお金で弁償されても納得出来るものではない。それなのに、人が死んだ場合にもこれが通用するかのような冒頭の判決を加害者が受ければ、被害者遺族は言うに言われぬ思いを抱くであろう。
そもそも、保険はいざと言う時の備えである。いざと言う時とは、多額の賠償にさらされる時の備えであり、この場合、民事の保険のはずである。ところが実際は、民事だけでなく、刑事においても被告人である加害者に有利な情状の1つとして見る傾向がある。
よく考えて見ると、この理屈が通用するのであれば、殺人罪においても、被害者に生命保険が掛けられていた場合、損害の填補の1つとして見なされるはずである。すると生命保険に入っている人を殺した場合と、そうでない人を殺した場合とでは刑が違ってくることになり、生命保険に入っている人を殺した場合は刑が軽くなるはずである。これは筋が通らないのは明らかである。ところが、交通事故だけは立派な理屈として通用している。
裁判所の理屈には、もっと筋の通らないものもある。例えば会社が保険を掛けていて、従業員が事故を起こした場合、やはり刑が軽くなるのである。自分で掛けてもいない保険で救われるのである。また、任意保険に入っていた車を盗んだ泥棒が事故を起こしても、同様に刑が軽くなる。明らかにおかしいのだが、これが通用しているのである。さらに、加害者が保険に入っていなくても、被害者が無保険者傷害条項のある保険に入っている場合も、加害者の刑は軽くなるのである。この様な変な理屈が通用するようになったのはなぜなのだろうか。
これは、平成5年の犯罪白書において、法務省が検察庁の起訴率の急激な緩和策を擁護し、「保険が普及しているので、多くの被害者は慰謝される場合が多い」と言ったことから、裁判官がこの理屈を使うようになったように思われる。
死亡事故においても起訴率を下げる政策をとり続ける検察庁への身内びいきの結果である。法務省や検察庁が『加害者天国ニッポン』にしているのだろうが、これに気付かぬ裁判官も問題である。
もう1つは、「被告人は反省の情が見られるから厳罰にするよりも云々で刑を軽くする」との判決理由である。これは、加害者が刑事裁判を刑の減刑交渉の場として利用していることに、裁判官が気付いていないためである。加害者は、裁判官の前でだけ「反省している」と言ったり、弁護士に言われて、刑事裁判が始まって初めて、被害者遺族を訪問してポーズを見せたりする。しかし、被害者遺族には、それが芝居であると訴える場すら与えられない。もちろん心からの謝罪の場合もあろうが、被害者の会等に参加している人々の事例では、悪質な場合がほとんどである。
裁判官も、加害者である被告人としか接触しないので、こういう場合には不思議な連帯感が生まれるのだろうか。ストックホルム症候群とでも言うような現象だろうか。被害者側との接触をしたがらない裁判官には、自分の前では謙虚な(ように見える)被告人の言葉が嘘であるとは思えないのだろう。しかし、ほとんどの事例では、加害者が法廷の場で言った「私の一生をかけても償う」「遺族に謝罪する」ということは実行されない。被告人は、嘘をついていることとなるが、これすら処罰することは出来ないのである。