交通死遺族に捜査情報の即時公開が必要な理由
(捜査や検察の起訴の適正という面から)
平成12年1月10日
 

1 犯罪被害の中でも交通死の場合、遺族の立場や事故捜査状況が特異であることは、一般的に知られていない。というのは、一応の捜査はなされているし、保険も完備されているではないかとの誤解が一部にあり、実態についてはよく知られていないからである。ここでは、著しく士気の低下した捜査を遺族が監視するために、捜査情報の即時公開が必要であるという点について、交通死遺族の立場から説明をしていきたい。

2 急激なる寛刑化
交通事故では、業務上過失致死・致傷罪での検挙件数に対する起訴率が昭和60年代前半までは7割前後で推移してきたが、昭和61年に法務省が「国民皆免許時代に交通事故で多数が刑事罰の対象になるのは好ましくない」として、必罰主義を転換した。このため起訴率は、急速に低下し、昭和60年代の70%台が平成9年には14.6%と著しく低下した。いわゆる「寛刑化」現象である。わかり易く言えば、交通事故を起こしても何ら罪に問われないのが原則となってしまったのである。
仮に裁判になったとしても、例えば、赤信号無視による業務上過失致死事件の判決が執行猶予となる割合も、20年前は60%だったものが今日では80%台となっている。つまり、検察のみならず裁判所においても交通事犯に対する刑がかなり緩和されているのが実情なのである。
以上は、新波新書『交通死』で、交通死遺族でもある二木雄策氏が指摘された統計上の現象である。この10数年間での加害者の制裁面での現象を一言でいえば「急激なる寛刑化」と言えよう。

3 加害者への異常なる過保護システム
第1審の刑事裁判を受ける人の拘束率を業務上過失致死事件に限って言うと、平成9年度はわずか12%である(司法統計年報)。傷害事件や暴行事件での拘束率が95〜96%であることと比較すると、死亡交通事故を起こした加害者への異常な過保護システムであることは明白である。公判請求された加害者だけでこの数字であるのだから、略式による場合を含めると、さらにこの数字は小さくなると思われる。
例えば、平成9年1月22日午前8時頃、大阪府四条畷市で、加害者は積雪していた急な坂道道路をタイヤチェーンもつけずに自動車を発進させたため、すぐに自車を制御できない状態にした重過失によって集団登校していた小学生の列に突っ込み、T君(当時8歳)を死亡させ、他13人もの集団登校中の児童らに傷害を負わせる事故を起こした。しかし、警察はこの加害者を逮捕しなかった。このため、この事件について一部マスコミは、加害者を「さん」づけで呼ぶような取り扱いをした。このような異常ともいえる過保護システムが、加害者の言い分どおりに供述調書を作成させる傾向を生んでおり、遺族にとっては、極めて大きな問題となっているのである。

4 捜査や検察の現場
以上に述べたこの10数年間での「急激な寛刑化」や「加害者への異常なる過保護システム」などによって、捜査現場や検察の副検事の仕事場では、著しい士気の低下があると言われている。現実に、捜査がおよそ捜査とは言えない行政的な事務処理となっている、あるいは、不起訴とする為にのみ仕事をしているのではないかとさえ疑うような不起訴事案が発生しているのである。次に、この1〜2年間で私が相談を受けたり、受任したりした事件の中からその具体例を挙げて説明する。

【例1】 平成8年8月9日午前8時頃、大阪市中央区北浜1丁目1番30号先、国道堺筋線の「難波橋」で同市阿倍野区の会社員(27)運転の軽乗用車が歩道に突っ込み、通勤途中のKさん(当時30歳)が死亡し、2人が負傷した事故
この事故で、大阪地検は平成9年12月25日、前の車との衝突を避けるための「緊急避難」にあたる可能性があるとして、一旦は嫌疑不十分で不起訴処分にしたが、平成11年3月29日に不起訴を撤回し、会社員を業務上過失致死傷罪で起訴した。これは不起訴処分を知った遺族が、「会社員は無理な割り込みをするなど過失が明らか」と、平成10年9月4日、大阪高検に捜査再開を申し立てた為、大阪地検が再捜査して、ようやく起訴されたものである。もし遺族がそのまま不服申立をしなければ、加害者には何ら制裁が課されることはなかった事案であり、検察の起訴回避主義を示す典型的な例である。

【例2】 平成8年5月19日午後0時頃、大阪府美原町さつき野中央交差点で、自転車で横断歩道を横断中に乗用車にはねられT君(当時13歳)が死亡した事故
この事故は、目撃者が5人おり、内3人の目撃者少年の供述と、加害者の供述とが、信号の色に関してまったく相反する事案であるが、副検事の目撃者少年3人への取調べは、目撃者に対し加害者の供述に添うような供述の変更を求めるものであった(これは一部のテレビが取材し、放送済みである)。検察の起訴回避主義というか、起訴を避けようとする流れの中、検察はこんな不当な捜査までするようになったのかと感じるほどの事案である。

【例3】 平成7年11月11日午後5時頃、滋賀県伊吹町の国道を自転車で走行帰宅中のK君(当時16歳)が、後方から制限速度30キロオーバー(時速80キロメートル)で走行していたトラックにはねられ植物状態になり、今も意識が回復しないまま両親が24時間介護をしている事故
この事案では、加害者は罰金20万円にしか処されていないという異常な刑の軽さに問題がある。あまりに甘い刑であるため、平成10年に、両親は岐阜高等検察庁に抗議申し入れをなしたほどである。
しかし、より問題なのは、本件の被害者がK君だけではなく、両親の人生をも奪ってしまうほどの重大犯罪であるにも関わらず、警察は、2人いた同乗者に対する取り調べをまったく行わず、加害者しか取り調べていないという点である。捜査書類によると、近所の畑を耕していた2人が事故の音を聞いたという間接的な目撃者として形式的に記載されているが、肝心の、直接の目撃者であるはずの同乗者に対しての取り調べは何らされていないのである。加害者の供述によると、この時だけ同乗者の1人と運転を交代したとあるので、同乗者の取り調べは絶対不可欠なはずであった。どう考えても不当な捜査である。なお、この件については、加害者のスピードについてもブレーキ痕からの検証はなされず、加害者の言い分だけでスピードを甘く認定記載しており、ずさん過ぎる警察の捜査が目立つ事件である。

【例4】 平成9年7月17日午後7時40分頃、大阪府茨木市西河原2丁目の国道を、東から西にバイクで走行中のM君(当時21歳)が、国道沿いの寿司屋駐車場から、突然飛び出してきた4輪駆動車に衝突され、死亡した事故
この事案については、刑事事件は保護観察付判決で終了し、その後、民事訴訟の相談を受けたのだが、不可解に思うところが1点があった。というのは、刑事裁判の公判になっており、かつ加害者の右方安全確認の有無が争点となっているにも関わらず、同乗者について何ら取り調べがなされていない点であった。
この点について、警察は、何を調べたらいいのか、核心的捜査(右方安全確認の有無という過失の内容)が何だったのか分からないまま事故処理報告を事務的・行政的に済ませてしまっていると思わざるを得ず、捜査現場では捜査のイロハさえ分からなくなっているのではないかと疑いたくなる事件であろう。

5 結論
以上に述べた事案は決して特殊なものではなく、氷山の一角に過ぎないと思われる。昨年の検察審査会への申立事件数は、交通死亡事故に関するものが激増しており、新聞紙上に掲載されたものだけでもかなりの数である。これは、現在の警察や検察の交通(死亡)事故に対する捜査の士気が著しく低下していることを示すものである。このように、一旦緩んだ捜査士気に対しては、厳重な監視が必要であると考える。しかし、このような不公正な捜査や不当な処分がなされていることに対して、システム側(検察や警察)に監視体制を期待することはおよそ無理である。監視に最も適切なのは、事故について直接知りたいと思う遺族の姿勢しかない。そして、遺族が捜査の公正を監視するためには、捜査情報の即時公開が必要不可欠なのである。
また、事故の原因については、被害者を最も知る遺族に情報を提供し、遺族の声や遺族の事故原因究明の姿勢を積極的に捜査に反映させることこそが、正当なる捜査と言えるのではなかろうか。というのは、軽傷で済んだ業務上過失致傷事件の捜査では、被害者と加害者の言い分を対比することによって事故原因の検証をしているはずであり。しかし、死亡事故の場合には、結果の重大性から考えて、かかる検証過程はより必要であるはずなのに、現実には検証されていない例が多いのである。かかる検証過程の省略を補完するためにも、遺族への捜査情報の公開は必要であろう。
最後に、捜査や検察の「捜査への監視の必要はまったくない」などと、以上の主張を一蹴する反論もあると考えられるので、この点にも触れておきたい。捜査や検察において、不十分な捜査や手抜き捜査がなされた時、交通死遺族は、加害者への正当な制裁を求める機会をまったく奪われるばかりか、遺族が後日直面する損保会社との交渉や制裁において取り返しのつかない致命的なマイナスポイントとなることは必至である。
例えば、加害者への制裁について、公判によるか、罰金にするか、検察庁は簡単に起訴を回避しているかのように思えるふしがある。しかし、被害者側は、公判でなく罰金刑にされることによって、民事裁判や交渉の中で加害者の過失の程度が小さいと認定されたり、被害者側の過失が大きいように認定され易くなったりする。これにより、遺族が苦しい立場に立つことについて、現場の検察官は多少なりともわかっているのであろうか。大いに疑問である。この原因は、「司法取引」とおよそ無縁である検察の土壌にあるのではないだろうか。