3 加害者への処罰傾向の変遷 

 昭和43年、業過罪の法定刑の引き上げにより、被害者数は約4割減少と、厳罰化で被害者を減らすことに成功しました。これを支えたのが、検察の厳しい起訴態度で、昭和61年までは、起訴率は73%前後でした。人身事故を起こせば多くが有罪となる時代でした。『命を守る交通検察』の時代でもありました。
 ところが、昭和61年に検察庁の一部、つまり東京高等検察庁だけで政策の変更がありました。具体的には起訴基準作成です。それまでは傷害程度と行為とを総合して起訴をしていたのですが、具体的な起訴の枠を設けることとして、起訴基準を3週間以上の傷害に限るとし、飲酒運転をしても傷害が3週間以内なら起訴しないとしたのです。業過の起訴を一定の傷害以上に限定し、かつ道交法違反があっても分離する政策がとられたのです。東京高検管内だけで1年間で起訴率は66%が16%にまで下がりました。結果的に起訴率が急減し、起訴に伴う事務負担の労力が極端に減りました。
 これがきっかけとなり、全国の検察庁が東京高検方式を真似ることとなりました。
 検察にしてみれば、処罰されない傾向は一時的だったはずですが、その後も20年間、一貫した処罰しない傾向が続いて行くこととなりました。検察の刑の運用面で著しい非犯罪化策ないし緩刑化政策がとられるようになりました。
 昭和61年を境にして、それまでの厳罰化政策が非犯罪化策へとなっていき、急激な起訴率低下を招き、昭和61年に73%だった起訴率は平成17年には10%まで低下しました。
 交通事犯の非犯罪化現象と呼ばれています。