5 判決 理不尽な判決理由 

 業務上過失致死事件の刑事裁判の判決で遺族が感じる怒りは「保険を掛けていたから死亡事故でも罪が軽くなる」という判決理由です。裁判官はなぜこんなことを言うのかというと、お金で命の回復ができるという価値観が前提にあります。窃盗では被害物や被害金額を回復されれば説得力もあるでしょうが、それでも被害者の思い入れが強い場合、被害の代わりにお金をもらっても被害者は納得しかねます。
 人が死んだ場合にもこれが通用している判決に被害者は言うに言われぬ思いを抱きます。多額の賠償責任を問われる、いざという時の備えが保険です。刑事では、加害者に有利な情状とされます。しかしそうであれば殺人罪でも被害者に生命保険が掛けられていた場合も損害の填補の1つとみなされるでしょうか。生命保険に入っている人を殺した場合と、そうでない人を殺した場合との刑は違い、生命保険に入っている人を殺した場合は刑が軽くなる理屈で、おかしいのは明らかです。ところが交通事故では理屈として通用します。なぜでしょうか? 会社が保険を掛け従業員が事故を起こしても刑が軽くなります。自分で掛けてもいない保険で救われます。任意保険に入っていた車を盗んだ泥棒が事故を起こしても刑が軽くなります。明らかにおかしい。
 この背景は平成5年の犯罪白書で、法務省が検察庁の起訴率緩和策を擁護し、「保険が普及しているので、多くの被害者は慰謝される場合が多い」と言って、この理屈を裁判官が使うようになったからです。「任意保険をかけているから」のほかにも「加害者には家族がいるから」を減刑事由とするマニュアル判決がまかり通っています。被害者側の事情には触れず、加害者側の減刑事情だけ通用するのが刑事裁判の現実です。被害者抜きのシステムであるため、加害者の刑を減刑する場面だからです。

事実ねつ造の刑事判決 
 マニュアル裁判が続けば、ねつ造判決も出ます。平成12年11月21日の朝日新聞「事実誤認のまま刑事判決」という記事。平成10年4月早朝、信号のない交差点で、通学途中の高校生をトラックが轢死させた業務上過失致死事件の刑事裁判での執行猶予の判決は「交差点は事故後に信号機ができ、非常に危険な交差点だった。被告のみに責任を科すことは出来ない」と。実際は事故後に信号機は設置されていません。ねつ造判決です。判決理由を検証しないシステムが出来あがっているのです。この裁判官の資質も問題です。「危険な交差点だからリスクを加害者に負わせるべきでなく、加害者の刑を減刑させる」論法です。交通事故は危険な場所で起こります。見とおしが悪い箇所、信号機のない箇所等、加害者の運転だけではない要素が多数あります。事故原因は加害者だけではない場合が多いのです。それを加害者だけを責めるわけにはいかないとしたら? ドライバーは危険な箇所でも気を引き締める必要がなく、死亡事故を起こしても危険な交差点との言い訳が通用します。危険な交差点ではより慎重に運転をすることが要求されて当然です。車は凶器だと認識をして運転をする必要があり、裁判官もこの点を認識した判決を書く必要があるのです。マニュアル化された刑事裁判の果てに、緊張のない道義感のない裁判がまかり通る。中には遺族を説教する裁判官すらいます。

遺族へ説教をする刑事裁判官 
 刑事判決には、どちらが被害者かと言いたくなるような事例があります。読売新聞の平成12年11月27日の記事で、刑事被告人は執行猶予を勝ち取るため、お金を借りたりして、被害者への弁償等の努力をしますが、加害者が1審で実刑となり、事故車売却の内金呈示で刑の減刑を控訴審で図ろうとした事例でした。遺族にすれば、家族を殺した事故車の売却金など受け取りたくもありません。被害者を冒涜するものですが、高裁裁判官は遺族の心情を無視し、遺族を逆に非難し、「いつまでこだわっているのか。未来を向いて生きなさい」と遺族に説教までしたのです。裁判官は法に向いているのではなく、被害者に背を向け加害者を向いているのです。遺族は裁判官に「バカヤロー」と叫んだそうです。加害者にとって刑事裁判は、加害者天国です。

日本の刑事裁判官は外国の裁判官との違い 
 日本の裁判官と外国の裁判官との違いは何でしょう? 被害者支援活動の第一人者大久保恵美子さんは「犯罪被害者に対する民間支援」で被害者支援をしている外国の裁判官との面談で大変なショックを受けたという報告をされています。オーストリアの裁判官いわく「法は人間のためにあるので、裁判官は法律と条文だけ読んでいればそれでよいというものでもない。特に裁判官は仕事柄、加害者に接する時間が多くなる。その加害者によって傷つけられた被害者のことをよく知っておかなければ、正しい判決は出せない。被害者支援をすることが自分の仕事の資質を向上させることにもなる。どんな立場の人でも私的な時間には自分を人間として磨くためにボランティアをしている」と。
 被害者と接触をしたがらない裁判官に、事件について正しい判決を期待出来るのでしょうか?