2 交通検察(かつての交通検察には「命を守る」理念があった) 

 昭和45年頃、交通事故死者は1万5千人で、ベトナム戦争の年間死者数を超えていたので、検察は事故防止の戦いを『交通戦争』として厳罰をもって臨んだ。東京地検元交通部長竹村照雄氏の著書『一検察官の軌跡』で「かつて交通検察は明確な理念『命を守る検察』を揚げていた。交通三悪といわれるものは道路交通法違反の点で故意犯である。個人法益侵害犯から公共危険犯的性格すら帯びている。従来の過失犯的処理を転換し原則として身柄事件として警察を指導し、勾留中のまま被疑者を起訴し、裁判結果についても、生命に対する危険性を強調して量刑につき実刑率を高めた」と。昭和61年以降平成17年度までの交通検察が起訴率を徹底して減少させたのと、きわめて対照的です。
  実刑者も、昭和50年前後の業過事件の実刑者は多い時で約5千人弱でしたが、平成17年では1000人前後です。今の検察が加害者に甘いことを示します。

交通検察の理念が変わった経過と本音 
 命を守る検察が変わったのは昭和61年の検察改革です。起訴基準を数字によって統一宣言し、かつ多くの副検事を交通部に配属し、起訴事件を限定しました。昭和61年に東京高等検察庁で、業務上過失致死傷罪の起訴基準が変更されました。「@道路交通法違反と業務上過失致死傷罪を切り離し、A業務上過失致死傷罪は傷害が3週間以内なら過失の如何を問わず不起訴」というものです。3週間内の傷害ならば飲酒運転でも起訴されません。新基準適用により、東京高検管内で66%の起訴率が1年で16%に激減しました。これについて「札幌高検以外の6高検は唖然とし、無念の思いがあった」そうです。しかし、全国の高検が東京高検に追随して、昭和61年の全国の起訴率73%は、平成17年には11%まで低下し続けています。

交通検察の方針転換に対する検察内部の反対 
 多くの副検事が「検察の使命放棄になる」「将来的な警察の士気の低下」を指摘して反対したそうです。3つの疑問の声があったといいます。

  1. 過失の如何に関わらず一定の傷害以下を一律不起訴にする検察運営のどこに『命を守る』検察の理念があるのか?
  2. 傷害の程度が3週間以内なら事件は右から左へ片付くが、良かったという喜びが副検事の本当の声か?
  3. 検察が不起訴なら警察は捜査しなくてもよいことになるのではないか?

 送致件数の73%が起訴された時に比べ、11%しか起訴されないなら警察に捜査の熱意がなくなるのは当然です。検察内で「副検事の使命感が喪失していくのではないか」と検察活動の活性化の逆行を感じたといいます。方針転換は検察内に激しい葛藤があったのです。

命を守る使命を交通検察が放棄し、方針転換をした本音 
 方針転換の理由は、堆積した事件数を少なくするための事務的理由です。「命を守る検察の使命」との引換えは役所の都合です。役所の事務処理を軽くするためです。
 昭和50年代には副検事1人の長期未済事件は100件を超え、昭和60年ころまでこれが日常化し、未済事件は増加しました。累積していく事件対策のため、多くの副検事が交通部に採用され、検事の職務肩代わり制度もできました。しかし過失判断は難しく、副検事では対応できず、未済事件は増えていきました。仕事を減らす事が大事であり、起訴・不起訴を決める、わかりやすい基準を作成する必要があったのです。そのため考案されたのが、一定の基準以下は不起訴とするというもので、理由は事務効率化です。昭和61年に新基準作成となったのです。結果、起訴率が著しく減少しました。表向きは軽微な傷害事件が減ったとの外観でしょうが、死亡事件でなくとも、重度傷害事件の多くは簡易調書で片付けられるようになり、人身事故は年々起訴されなくなっていくのです。というのは、3週間の傷害という基準は、捜査初期に警察が取った病院の「見込み」 の診断書ですから、傷害が軽く扱われているのが実情なのです。